10月1日(水)に新橋の「何やってるBAR」で行なわれたネリヤ☆カナヤのライブを観た。東京で行なわれるワンマンライブとしては半年ぶりだ。会場の「何やってるBAR」は沖縄料理店で、10月下旬には徳之島出身の禎一馬さんや安田竜馬さんのライブも予定されている。
ネリヤ☆カナヤのライブを観るのは久しぶりだが、今回はニューアルバムの発売記念ライブということで、「HALKANA-ハルカナ-」からのナンバーを中心にお馴染みの曲をちりばめたいいライブだった。
会場が小さいため事前の告知はあまりなされなかったが、それでも仕事帰りのサラリーマン達で満員となり、BARの中には恒例の「ネリヤ! カナヤ!」のシュプレヒコール(!?)が渦巻き続けたのだった。
ステージは2回あったが、ちょっと長めの休憩を挟んだライブという感じで、流れも切れた感じがしなかったのは、盛り上がりすぎてクールダウンにちょうど良かったからだろう。改めて思うが、彼らの切れのいいおしゃべりとステージングの技術はいつ見ても客を飽きさせない。まだ観たことない方、オススメです!
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2008年9月27日に下北沢「ぐ」で行なわれた牧岡奈美さんのライブをみた。このライブは五つの赤い風船というグループのメンバーであるピアニストの竹田裕美子さんとの二人だけ、つまりピアノの伴奏だけでシマウタを唄おうというものだ。
ライブはやはり「あさばな」から幕を開け、全部で12曲がピアノだけの伴奏で披露された。中には今回のライブで初めて聴く曲もあり、とても新鮮だった。最後は牧岡さんの自作の歌と、その後三味線で一切朝花と六調でお開きとなったが、お客さんは島関係の人が3~4割位で、あとはたぶん本土の人たちだったと思う。あまり広い会場ではないが、満員となった。ある意味で前衛とも言えるこういった試みが理解されたのは幸せなことだ。
聴いていて改めて思うが、シマウタにはピアノがよく合う。伝統的な三味線によるシマウタとは違った新たな音楽の世界が出現していると思う。もちろん三味線によるシマウタのように時代を経た蓄積があるわけではないので、まだ始まったばかりの心もとない音の世界でしかないが(だから私はそれを「奄美音楽」という言葉で呼んで区別しているのです)、それでも私たちを奄美を感じさせるなにものかを含む世界へと連れて行ってくれるのに十分だ。
ピアノとシマウタは朝崎郁恵さんと高橋全さん、RIKKIさんと黒田亜樹さんなど、これまでにも素晴らしい組み合わせが生れているが、また一つ楽しみなユニットが誕生したようだ。特に牧岡さんは自身も3歳頃からピアノをやっているそうで、私はピアノという楽器への限りないリスペクトから生まれる新たな奄美音楽の展開に心から期待している。
竹田さんは「私がどこまでシマウタに触れていいのか迷った」と言っていたが、それはきっと三味線によるシマウタの奥深さを感じているからこその発言だと思う。ギターでも何でもいいのだが、三味線以外の楽器でシマウタを唄おうとする時、この懊悩からこそ本当の飛躍が生まれるのだ。(続く)
(写真はあさばな)
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少し前の話で恐縮だが、昨年の11月2日付けの朝日新聞夕刊に、小倉エージさんが中孝介さんのステージ評を書いていた。その「素朴さの中 豊かな情景」と題された評は、同年10月28日の東京国際フォーラムでの公演に対してのものだ。
評の内容は少し辛口の部分もあったが、おおむね好意的なものだった。そして中さんの裏声を駆使した歌唱が奄美の民謡歌手としての体験に由来しているのは明らかだと書いていた。そして、最後に「情景が鮮明に浮かび上がる豊かな説得力があった。これからが楽しみな存在だ。」と締めくくっていた。
ぼくはこの最後の言葉を読んで、これはまさにシマウタのことだな、と思った。唄遊びの場ではなくて、ステージで唄われるシマウタを聴いていると、時々まるでそこが奄美の海であるかのようなイメージが鮮明に浮かび上がってきたり、奄美の島のどこかにいるような気がしてくることがある。小倉さんが中さんの歌から受け取ったイメージは、おそらくそれと同じようなものなのではないだろうか。
中孝介さんがこれからどこへ行くのか、ぼくにはわからないが、その歌の核になるものはもしかしたらシマウタのそれと同じなのかもしれない。ぼくも楽しみにしていようと思う。
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牧岡奈美さんの新作「シツルシマ」(JABARAレーベル)を聴いていると、シマウタと八月踊り唄の世界が持つ奥深さと広さというものについて考えさせられる。
このCDでは、牧岡さんの出身地喜界島の八月踊り唄が2曲収録されているが、それ以外にも彼女のウタ声の不思議な魅力をたたえた「嘉徳なべ加那」や「曲がりょ高頂」「あさばな」など、新しい喚起力を感じることができると思う。
ここで私は考える。もしかしたら今私たちが聴いている奄美音楽の世界は、本当はまだまだ拡がっているのではないだろうか?
ただ、島の山の上から水平線を見るように視界が限られているから、その拡がりと奥深さがよくわからないだけなのではないだろうか?
このCDは、マキオカナミという舟に乗って、少し奄美音楽の沖のほうへ行ってみたような感じがする。もう少し航海を続ければきっと別の島があって、そこから眺めるとまた違った水平線が現われそうな予感さえするのだ。
この航海にはたぶん限界はない。なぜなら、奄美音楽の世界は私たちの心のなかにあるからだ。
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最近、家でちょっとした調べ物をしているときに、幸野泰士さんの三味線だけのインストゥルメンタルCD『SANSHIRU』をよく流しているが、なかなかいい感じだ。先日の「長野われんきゃやーどうしぐゎー」ライブの時に、「町を歩いていてお店から美味しい食べ物の匂いがただよってくると食べたくなる、そんなCDが作りたかった」と言っていたので、面白いなと思って買ってみたのだ。
確かにこれを聴いていると島に行って海を見たくなるし、シマウタの雰囲気にもっと浸りたくなってくる。そういう意味では企画は成功していると言えるだろう。でもぼく的にはまた少し違った印象を持った。
このCDを出したキマイミュージックの入っているホームページには、シマウタをやっていた祖父と父親の影響で幼い頃からシマウタに接っしていて、兄弟がいないので遊び道具代わりに弾いていたと書かれているが、幸野さんの三味線は、本当に三味線が好きな人の音がしている気がする。もしかしたら彼はウタよりも三味線のほうが好きなんじゃないかと思うくらい、ステージでもいとおしそうに三味線を弾いている。こういうタイプの人は、初めて見た。
彼の三味線は、島で育ったにもかかわらず泥臭さがあまりなく、洗練されているのにものすごく深みがある。ぼくはこのCDを聴いていて、久しぶりに奄美音楽の新しい展開を聴いた気がした。このCDはウタが入っていないことを除けば、純粋な三味線だけのシマウタCDなのだが、東京で聴いていても空間的な違和感が感じられない。もう奄美と東京を分けて考える必要はなくなったのだ。
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今日は所用で秋葉原に用があったので、ひさしぶりに里アンナさんのインストアライブを観た。前に観た時よりも歌の表現力が増し、またおしゃべりもきちんとこなしていた。なかなかの成長ぶりだ。なおかつあの圧倒的な声量は健在で、のびやかな高音は聴いていてとても気持ちよかった。
それでも、まだまだ彼女の本領はこんなものではないという気がするのは、ウタの力の奥深さをどこかで感じさせてくれるからだろう。このままぜひ頑張ってほしいと思う。
11月25日(土)の17:00からは石丸電気SOFT2で1時間ほどのミニライブ(無料)があるようだ。ギターによる生演奏だけで歌うという。座って聴ける場所らしいので、皆さんも是非どうぞ。
(写真は思ったよりも人が集まったので、急遽1曲追加で歌うことになり、アンナさんが曲目を相談するためステージ脇に降りて見えなくなったところ)

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去年のうちに書こうと思っていたらいつの間にか新年になってしまった。いくつか書きたいことがあるので、時間があるうちにアップしておこうと思う。とりあえず今日は、ぼくにとってシマウタの魅力とは何なのかを書いてみたい。
シマウタの中にはたしかに薩摩の圧政を思わせるようなウタもあるが、大半のウタはそんなこととはあまり関係のないことを唄っているように思える。また、意味のわからない歌詞や卑猥な歌詞もあるし、残酷な歌詞もある。どこまでが事実で、どこまでがフィクションなのかよくわからない歌詞も多い。
そんななかで、ぼくがいちばん好きで、シマウタらしさを感じるのは、恋のウタだ。心なしか、きれいなメロディが多いような気がする。そして、この「ぬやまくじょ」も、そんなウタの一つとなった。
シマウタの歌詞には、地名や人名、自然の風物がたくさん出てくる。自然の風物は、きっとその歌詞が生まれた場所と時代の人々の自然への意味付けも反映されているに違いない。そんななかで繰り広げられる恋のウタが、私にはたまらなく魅力的に感じられるのだ。
誰と誰がくっついて、離れたか・・・。狭いシマ(村)社会のなかで、みんなの一番の関心はそこにあった。きっと日本人はそうやって生きてきたし、これからだってそうやって生きていくだろう。それでいいではないか。
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最近、RIKKIさんの「素敵だね」のフレーズを真似たんじゃないかという曲がヒットして、またプロモーションビデオもそっくりという話がネット上で散見されるが、ぼくはあまり興味がない。プロはプロの流儀で決着をつけるだろうから、任せておけばいいと思う。
それに、ぼくはRIKKIさんのシマウタ(奄美音楽)の可能性にしか関心がないから、東京でシマウタ(奄美音楽)がどのように生成変化し、ぼくたち観客とステージ上のRIKKIさん達のウタのこころに何が起こるのかということだけを追求していればいいと考えている。
だって、誰かが「素敵だね」の真似をしたなんていう話より、そっちのほうがはるかに大事なことだから。そして本気でそういうことを追求しようと思ったら、ほかのことに気を取られている時間も余力もないはずだから。
ぼーっとしてたら、大切なことを見逃してしまうよ。
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私は朝晩の通勤電車のなかではたいてい奄美音楽のCDを聴きながら過ごしている。たまに疲れすぎて何も聴きたくない時もあるが、ほぼ毎日聴いていると言っていい。
そこで思うこと。
1 シマウタには気分を落ち着かせる力がある。
2 しかし三味線の伴奏で唄われる純シマ唄は現代の仕事の感覚には合わない(聴いていると仕事をする気が失せる)。
3 朝花だけ特別なウタの力をもっていて、聴いていると元気なエネルギーが湧いてくる。
4 シマウタを聴きながら(電車の中で)眠ると疲れがとれる (笑)
5 ただしウタの力が強すぎるので、奄美音楽であっても仕事のBGMには向かない。
こう考えてみて、BGMとは現代の仕事ウタである、ということに気づいた。つまり、もしもシマ唄の本質が仕事唄であるとするならば、現代のシマ唄はBGMを目指すべきなのだ。
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里アンナさんのデビューアルバムが届いた。香立てが欲しかったので、レーベルのホームページから購入した。じつは私は日本香道というメーカーはけっこう好きなのであった。
お香のメーカーはいっぱいあるが、中でも日本香道はおしゃれな製品をたくさん作っていて、なかなかセンスがいいと思う。前作「舞」の時はお香をそのままCDに入れっぱなしにしていたので、たぶんもうしけってだめだろうから、今度のお香は是非火を燈したいと思っている。
肝心のCDも聴いてみた。まっすぐで大きいいいウタだ。すっと掬い取られてどこかへ連れて行かれるような気がする。これからが楽しみだ。なにはともあれ、アンナさん、デビューおめでとうございます。
ちなみに私が今勤めている会社の近くには日本香道の工場があって、そばを通るとお香の香りがする。
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珍しくJABARAレーベルから牧岡奈美さんの「南柯」試聴版が届いた。このホームページにあるようになかなかいい雰囲気の録音だったようだ。
私のお気に入りの曲は「むちゃ加那」。また一つ比類なく美しい「むちゃ加那」が生まれたと思う。そして何より牧岡奈美さんのマブリが視えてきたのが嬉しい。
私はシマ唄の本質は無限の時間性(と至近距離の空間性)だと思うので、こういった一発録音もいいが、やはりじっくりと合わせて作っていくほうがいいのではないかと思う。牧岡奈美さんなら、きっといつかもっと大きなマブリへ到達できるだろう。
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さて、「そこに可能性があるなら、どんどんやるべき」理由は、それが「現代の唄遊びだから」だ。
「間が狂う」という言い方に明らかなのだが、シマ唄を西洋の楽器でやるときは、シマ唄固有の時間性と西洋音楽に固有な時間性との真剣勝負となる。相手の時間性に飲まれてしまえばこちらの負けだし、こっちの時間性に引き付けることができれば勝ちというわけだ。
この二つの固有の時間を自由に行き来するには、かなり力がいる。
そして、「定型がない」のがシマ唄だとすれば、どんどん変化してもなお輝きを失わないでいることができるかどうかも勝負だ。「シマ唄とはこういうものだ」と自分で考えてしまった瞬間にシマ唄はその輝きを失う。常に変化しつづけることは、とてもラディカルなことだ。
私はそれができる人を「奄美音楽のウタシャ」と呼びたい。
(この項をわり)
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このCDを聴いてすぐに思うことは、はたしてシマ唄はオーケストラと合うのか、ということだろう。特に三味線も入っている場合、その思いはいっそう強く感じられる。これが唄だけだったり、あるいは特別にアレンジされた三味線の奏法での合奏であれば、また印象が変わるのかもしれないが、普段の三味線とシマ唄のままでオーケストラにのせることが妥当かどうかは、ちょっと疑問だ。
もっとも、そういった疑問を飛び越してまずやってしまう、ということはアリだと思う。また、やってみないとわからない部分もあるので、だからといって貴重な試みであることには変わりはない。実際に聴いていると、なぜか永良部の子守唄がよく合っている気がするし、八月踊りもいい感じだ。そしてこの評価はあくまで私の個人的な感想でしかないので、別の人が全く違った評価をしたとしても、それはそれでいいのだ。
たぶん本当はまったく合わないとか、すごくよく合うということはなくて、おそらく程度の問題とか、唄や唄者や楽器や作曲者との相性の問題であったりするのかもしれない。しかし、それ以前にやはり前提としてこの問いは存在しているのではないかと思う。つまり感性として合うか、ということだ。
この問いは奄美音楽ということを考える時にはいつも(今でも)つきまとう本質的な疑問だ。
たとえばシマ唄をギターやピアノで唄うということについては、「間が狂う」とか、「芸が荒れる」といった意見がある。私も同感だ。何か根源的に異質なものがせめぎあっているような気がするのだ。そしてどこかで伝統的なシマ唄の感性が変質してしまう。だからそういったことを言う人たちは、「それだからやってはいけない」と言うだろうし、実際にそういう声はよく聞いた。しかし、私の結論は違う。
「そこに可能性があるなら、どんどんやるべきだ」。
なぜそう思うかは、また次回。(つづく)
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初心に還って、BLOG の衣替えと同時に、私とシマ唄との関わりを考え直したくて、もう一度昔のCDから聴き直してみることにした。
まず最初のCDは「交響譚詩 ベルスーズ奄美(奄美の子守唄)」だ。このCDの収録は2000年12月で、私は今年に入って手に入れたのだが、初演は1979年らしい。作曲者の山畑馨さんは宇検村阿室の出身だというから、坪山豊さんが唄で入っているのは、やはり故郷のシマ唄の香りが原体験としてあるということか。
私はこの交響曲がどのように奄美の人たちに影響を与えたのかよくわからないが、私にこのCDの存在を教えてくれたSさんは、この交響曲によってシマ唄に目覚めたということなので、奄美音楽という概念を考える際にはもしかしたら出発点となるようなCDなのかもしれないと思う。
また、坪山豊さんがパイプオルガンやフルートなどとの共演も積極的に関わってきた背景には、このベルスーズ奄美の存在が大きかっただろう。
そんなことを考えながら、「永良部の子守唄」の美しさや終曲「ドンドン節」の圧倒的なスケールに酔いしれるのであった。そうだ、5月にまたSさんと会う機会があるので、その時にゆっくり聞いてみようっと。
ところでこのCDは私家版のため、情報源の確認が取れないのでサイトには掲載していなかったが、ビデオがコシマプロダクションから購入できるようなので、次回更新時に掲載しようかな。
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3月11日(fri)、吉祥寺SPCでの「結ぬ島へ」LIVE はとても楽しかった。
いつもは後ろのほうで観るのだが、今回はちょっと目的があって前の方の席に座った(RIKKIさんの三味線の手を見たかったからです)。バチはたぶんべっ甲だろう。いい音だった。
バンド編成はベースとパーカッションとギターと三味線。ここで技術的に問題になるのは、たぶん三味線の音が小さいことだ。奄美三味線の場合、軽やかで優しい返しバチの音がいいが、小さい音なので、大音量のバンド編成のなかではその良さが生かしにくいはずだ。
今回のCDでも、押しバチを主体にして演奏している気がしていたので、実際の弾き方はどうしているのか、確認したかったのだ。1曲目は朝花。やはり押しバチが主体で、返しはあまり使っていなかったと思う。スピーカーを通して聞いても、時々入っているように見える返しの音がよく聞こえなかった。PAがマイク感度を上げようとしたのか、一度ハウリングが起こりそうになった時もあった。
押しバチを使って大きな音で弾いていると、奄美三味線のバチの性質上、一度太鼓を叩くようにしてまた持ち上げるので、早弾きには向かない。ちょっと苦しいが、でも押しバチだけの奏法もなかなかいい味がしていいな、と思った。
三味線かとうで内蔵マイクをつけてもらって、ついでにすべらない糸巻き加工をしたら面白いかもしれないなどと思いながら見ていたのであった。
***
ところでぼくはこんなに一所懸命唄って踊っているRIKKIさんをはじめてみた。いい感じだ。東京の客は踊らないけど、みんな十分楽しんでいたみたいだから、気にすることはないだろう。でも今度は途中で強制的に立ってもらってもいいかもしれない。それくらいしないと、今の若いコ達は頭(脳)と身体(ココロ)がうまくつながらない感じがするからだ。
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この唄は、朝の出勤時に電車の中で聴くといい。
不思議と落ち着いた気分になって、一日を穏やかに始めることができる。
「仕事ってホントは助け合いなんだよな・・・」
そんな気持ちにさせてくれるのだ。
どうせ会社に着けば「金を稼ぐことがすべて」の世界が待っているのだから、
せめてそれまではこの唄でココロを癒していてもいいでしょ?
***
ところで livedoor の話に移るが、結局この問題は
結いの島のシマ社会の論理と
個人の自由な経済活動を前提としたアメリカ型の経済の論理とが
ぶつかりあってせめぎあっているのだなあ、
という気がしている。
誰でもアイデア一つで気軽に資金を集めて創業できる
アメリカ流の経済の思想から言えば、
株式は資金調達の手段であり、かつ投資の対象だ。
企業活動は営利活動であり、利益を出さなくては意味が無い。
業績が悪化すれば社長はすぐクビだ。
そのかわり倒産すれば株券はただの紙切れとなる。
でも銀行も倒産する恐れがあるし信用できないから、
別に有望なビジネスにも投資しておいたほうがいい、
というわけだ。
でもそれは、人の生き方や社会の理想とはとりあえず関係の無い、
「単なる経済活動」でしかない。
よりよい社会を作り出すためのNPO活動はそれとは別だし、
キリスト教等の宗教活動も別にちゃんと存在している。
理想を追求する政治活動も盛んだ。
そんな論理から見ると、勇気をもって莫大な資金を投入して
買収を行ない、積極的な企業展開を図っているlivedoor の活動を、
よってたかって批判しているように視える日本の社会は、
なんて閉鎖的でアンフェアなんだろう、と思うだろう。
だから私は考える。
日本の会社というものは、
結いの論理で動いているシマ共同体の延長のようなもので、
そこには政治も文化も宗教もみんな入っている(た)。
それは西欧的な資本主義下の企業活動とは似て非なるものだから、
私たち日本人は簡単にグローバルスタンダードに転換できずに
苦しんでいるのだ、ということを
そろそろ外国の皆さんに説明すべきではないだろうか?
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ヒヤルガへーは諸鈍長浜節のことだが、
奄美大島民謡大観によればこの唄は
その昔諸鈍に逗留した琉球兵たちが
諸鈍美人によせた「綿々たる恋情の表白である」そうな。
この唄は、「結ぬ島へ」のなかでも
一つのピークを形成している唄となった。
菅原さんの印象的なギターワーク、
古代の香り漂うチヂンの響き、
そしてRIKKIさんの津軽あいやを思わせる
低音を効かせた連続するグィンの醍醐味・・・。
私はまだこの唄がどこまで届いているのか、
推し測ることができずにいるのだが、
この唄からまんこい、実久くばや、ぬやまくじょ、
ほこらしゃやと続く奄美音楽の達成は、
日本の本土民謡がついぞなしえなかった領域に
足を踏み入れていることだけは確実だと思う。
この唄は未来へ行くだろう。
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とにかく楽しい。
ここでは三味線は一つの伴奏楽器として軽快な響きをみせている。
これはシマ唄の三味線というよりも、
今までいろいろな現代曲に三味線をつけてきた
感覚のほうから朝花につけた感じで、すごく新鮮だ。
RIKKIさんの演奏にも味がでてきた。
そしてRIKKIさんの唄は何かを突き抜けて「軽み」さえ
感じさせるほどだ。
コロで入ってくる尺八も、重くなくていい。
じつは私の考える「カミウタ」のイメージはこんな感じだ。
きっと日本のカミガミはさわやかで軽やかで楽しくて
ちょっと色っぽいような雰囲気のなかにいらっしゃるのだ。
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「結ぬ島へ-リッキの奄美島唄-」がやっと届いた。
うわー、何だろう。
なんだか熱いマブリの世界で
太陽(ティダ)のひかりに照射され続けて
いるようだ。
それにこの「朝花」はもうカミ唄になっている。
凄ぇや・・・。
夢を見てるのかな?
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タナカアツシさんと奈良大介さんのユニット、「マブリ」の新CD『島遊び』がいい。自由で斬新で実験的。今の東京の感覚を繋ぎとめながらもなおかつちゃんとマブリ(魂)を感じるシマ唄になっている。大人の男の本気が入ると凄いぞー。それからシマの人ではない奈良さんが唄っているのもいい。それにしても奈良さんのシマ唄、本当にうまくなったなあ・・・。
私の一番のお気に入りはタナカさんがギターで唄う「上がる日ぬ春加那」。絶品だ。これを聴いて鳥肌が立たなかったらあなたの身体の穴という穴はみな節穴だろう。
奄美音楽の唄者がまた一人、誕生したようだ。
奄美島唄の世界
*CD紹介は「マブリ」のページにあります。
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昨日吉祥寺の S.P.C.LIVE での「RIKKI sings at Star Pine’s Café #6」の感想は、一言で言うと「RIKKIさんのなかで何かが変わったようだ」という感じ。今までになく自信に満ちあふれた歌声はちょっと雰囲気が変化して、新たなる進化を予感させる爽やかさを伴っていた。きっと何かこれからの歌と唄の方向性のようなものが見えてきたのではないかと思う。
それと同時に感じたのは菅原弘明さんがいよいよシマ唄に入ってきたな、ということ。次のアルバムが出たら誰か菅原さんにロングインタビューしてくれないかなあ。とりあえず菅原さんには何にも遠慮せずに思う存分やってほしいです。たのんまっせ!
ニューアルバムは秋頃らしい。汗をかいて働いて、朝に夕に肝を磨いて待つのもまた楽しみの一つか。
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昨晩は久しぶりに仕事を抜けられたので、マブリの奄美シマ唄ライヴに行ってきた。何しろライブチャージが1000円というのが、この大不況下のフトコロ事情にマッチしていていい。当然ライブ開始時の8時には見事満席になったのであった。
ライブはCDそのままにお客さんがみんなでお囃子を入れたり、唄遊びの感覚を存分に取り入れた進行で、トークも軽やかに肩の凝らないとても楽しいものだった。なにより自分たちが楽しもうという姿勢が伝わってきて、三味線だけの純シマ唄ライブもある程度これでいけるんじゃないかという気にさせてくれた。オリジナルも良かった。これで1000円ならお得というものだ。
それにしても不思議なのは、シマ唄や八月踊り唄とギターがなぜか合うことだ。何で究極の嫌がらせソングとも言える八月踊り唄の「嘉鉄伊能国主」がこんなにしっとりとしたいい曲になっちゃうんだろう? と思いながら聴いたのだった(だって、踊りにはご丁寧に馬に乗る動作まで入れているのだ)。もしかしたらこんな唄ができるような人と人との距離がとても近かった時代は、ある意味でとても幸せだったのかもしれないということを私たちが心のどこかで知ってしまっていることが、限りないノスタルジーを感じさせる原因なのかもしれないと思う。
写真は、六調で狂喜乱舞(?)するお客さんたちの様子だ (^^;;
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5月26日の朝日新聞夕刊(14面)に、朝崎郁恵さんのお父さんである朝崎辰恕(たつじょ)さんが作詞・作曲した「嘉義丸の歌」の話題が取り上げられていたが、この唄は「近く自らのアルバムに収録する」と書かれていた。とすると、朝崎郁恵さんのニューアルバムが出るということになる(レコーディングはこれかららしい)。
現在までに把握している公式・非公式情報を併せると、朝崎郁恵さん、RIKKIさん以外にも何人かの唄者がレコーディングしている様子なので、今年後半は少なくとも5、6枚CDがリリースされそうだ。ネリヤ★カナヤも出すとラジオで宣言したので、そのうち出るだろう。シマ唄は入っていないようだが、関西で活動中の高塚勇輝さんのCDも楽しみだ。
なぜか奄美のシマ唄がらみのCDは、夏場を中心にリリースが集中する傾向にある。というわけで、皆さん、今のうちからお酒を控えめにして、予算を確保しておきましょう・・・。
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