miss you Japan

今週の月曜日(祝日)は東京奄美サンシン会の発表会だった。もちろんぼくはただのシマウタ好きの素人なので、ウタも三味線も評価の対象外レベルだが(すみません、だからこその発表会なのです)、ゲストの皆さんのステージは堪能していただけたのではないかと思う。

ところで、今回参加してみて思ったのだが、普段洋服を着て唄ったり弾いたりしている時の感覚と、着物(今回は借り物の大島)を着ている時の感覚がずいぶん違う気がした。着崩れないために必要な立ち居振る舞いの仕方も違うし、布が身体を圧迫するポイントも違う。なにより慣れないせいか、ずっと着ていると疲れてくる。

ぼくは学生の頃尺八をやっていて和服を着て発表会に出たこともかなりあるので、普通の男性よりは着物を着た経験は多いほうだと思うが、それでもこの歳になってやっとこんな基本的なことに気づいたのは、それだけ和服を着る習慣が失われてしまったということでもあるだろう。

当然シマウタの世界は着物を着た感覚で育まれたわけだから、本当のシマウタの心に迫るにはもっと着物を着て生活してみないとわからないこともあるのかもしれない。最近は大島にこだわらなければ安い着物が出回っているので、着付けさえ習えばなんとかトライできるだろう。

これからの大きな宿題をみつけた気分だ。

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ある冬の出来事

今年の冬は、不思議な体験をした。

去年の暮れから、叔父が一人がんにかかり、ホスピスに入っていたので、みんな覚悟していた。そして2月の半ばすぎに亡くなった。

その一週間前位に、事件は起こった。朝起きて知ったのだが、真夜中に母が起き出して、女房に何か言ったらしい。何でも、家の中で「どーん」というもの凄く大きな音がしたので、びっくりして起きたのだという。当然誰もそんな音は聞いていないので、「そんな音は聞いてないです」と答えたという。ぼくはその話を聞いて「おふくろもついにぼけたか・・・」とがっかりした。

しかし、翌日の午前中に会社に電話がかかってきた。「たった今叔母から電話があって、叔父が危篤とのことです」と。ホスピスに入るということは最期の時を過ごすということだから、もう覚悟していたので、特に驚かなかったが、その日家に帰ると、家の中が妙に落ち着かず、息苦しい感じがしているのに気づいた。

ぼくの父(叔父の兄)は10年前に他界しているので、遺影が部屋に飾ってある。ぼくはもしかしたら叔父が父に会いに来たのかなと思って、遺影と神社のお札に向かって手を合わせた。すると、しばらくするとだんだん家の中と自分の気持ちが落ち着いてすっきりしてきたのだった。そしてその時初めて、昨晩の出来事の意味が理解できたのだった。

ぼくはこういった話は、自分とは無縁の、民俗学の蒐集した霊魂譚の世界のものとばかり思っていた。じつはこの類の話は日本中にごろごろしている。奄美の民話にもきっと同様の話が出てくるはずだ。母の話では、母の故郷の信州伊那谷でも、祖先が亡くなる時に同じような音を聞いたと、親戚の人たちが話していたという。

叔父がホスピスに入った時点でだいたいの余命はわかっていたわけだが、これを単なる偶然の一致とか根拠のない思い込みだとして片付けるのは、今ひとつ腑に落ちない気がする。現にその後は母にぼけた様子はない。ぼくは霊魂が存在するとは思わないが、どうやら人の心の現象には、まだまだ未知の部分がありそうだ。

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ある青年のメッセージ

先日とある島関係の大会で、ある青年がシマウタを唄う時に、「昔は三味線はなかったと思うので、チヂンだけでうたいます」と言って、三味線なしで1曲うたった。そして次の曲からは三味線を弾きながらうたっていた。

この試みはとても自然に実行されたので、会場の皆さんはどう思ったか知らないけど、ぼくには彼の言いたいことがよくわかった。彼は、うたう気持ちを大事にしてほしい、それがシマウタの心なんだ、と言っているのだと思う。

良作、ぼくもそれでいいと思うナ。

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マブリ

『島遊び』と『結ぬ島へ』を聴いていて、思った。
シマ唄はきっと、マブリで唄い、マブリで聴くものだ。
これを理解するまでに、いろんなものを無くした。

いろいろと辛いことが多くて、
奄美音楽情報をやめようと思ったことも
何回かあった。

でも島の自然(カミサマ)が時々やってきて、
癒されるような感じがしたし、
ここを通らないと未来へ行けないと思い直して
続けてきた。

これからもその辛さは変わらないと思うけれど、
なんとか続けられるかな?

もう独りじゃない気がするから。

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自由なココロ

さて、今の若い人たちが日本のことを何も知らないとすると、私の日本やシマ唄のイメージがまったく伝わっていないかもしれない。これは困ったことだ。

ちょっと比喩的に言ってみると、今の奄美の暮らしはきっと今の東京の暮らしより20倍くらい幸せだと思う。でも私の子どもの頃の日本の暮らしは、今の100倍は幸せだった。これは実感だ。だから、その類推から言えば、シマ唄が育まれた頃の奄美や本土の暮らしは、きっと今より1000倍は幸せだったはずだ。

と言っても、信じてもらえないだろうなあ・・・。
日本がそんなに悪い国じゃなかったと言っても、
右翼扱いされるだけだろうなあ・・・。
きっと東京のシマ唄は、たった独りから始めるしかないんだろう。

というわけで、スラヨイ通信、ぼちぼち再開準備に入ります。

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日本人とモンゴル人の共通感覚!?

今年4月にNHKの地上波で放送されたRIKKIさん出演の「アジア音紡ぎの旅」を見直していて、気づいたことがある。それはモンゴルの草原の遊牧民の歌のシーンだ。まずは羊を放牧しながら歌う女性の言葉。

「羊たちには感謝を込めて歌います。すると羊が私のもとに戻ってきます。楽しく歌うと、羊たちも気持ちよさそうに草を食べます」

別のシーンでは、馬を放牧しながらオルティンドゥーを歌う男性の言葉。

「大地のように心を広く、立派に生きていればすべての音がメロディに聞こえます。草、植物、自然のすべてが私たちの話すことを聞いています」

ここには、少し前の日本人なら誰しも持っていた感覚、たとえば太陽をお天道様・お日様と言い、月や星をお月様・お星様と言って感謝の気持ちを込めて拝んだような、自然と一体化した感覚が残っていると思う。

もう少し言えば風にそよぐ木の葉の音を「コトノハ」とみなして自然の言葉を感じていた古代日本人の感覚と、ほとんど変わらないと思う。

もしかしたらこれは、ことばやウタを自然のものとして感じるような、私たち日本人とモンゴル人に共通する基層の感覚なのかもしれない。

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安東ウメ子さんを悼む

アイヌのムックリ奏者、安東ウメ子さん(享年71)が15日に亡くなったそうだ。

彼女のアイヌの伝統的なウポポ(歌)とムックリ(口琴)は、私もライブで何回も聞かせていただいたし、CDもよく聴いた。なにより安東ウメ子さんと一緒にやるようになってからのOKIがとても良くなった気がして、音楽以外にもアイヌの人たちの魂のようなものが伝授されたに違いないといつも思っていた。

だから、訃報を聞いてとても寂しいのだが、大切なものはきっといろいろな人に伝わったはずだという気もして、ある意味ではよかったなとも思う。

奄美の皆さんも、まだ大切なものを受け止めるチャンスは残っていると思うので、貴重な時間を逃さないでほしいと願っている。

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