牧岡奈美 トーク&ライブ VOL.2 はとても有意義だった。
こじんまりしたスペースでやるミニライブみたいなものだろうと思って会場となるお店の階段を上がりきると、靴を脱いであがる普通の和室だった。ただ一般の家の和室と異なるところは、中央に大きな楕円形のテーブルがあってそのまわりにクッションが配置されており、もうすでに5~6人の見知らぬ観客が座っていたことだった。
初めてのシチュエーションになんだか落ち着かないなと思いながら席に着くと、しばらくしてもう2人ほどお客さんが来たところでおもむろにライブは始まった。まだ定刻15分前だ。
牧岡さんの自己紹介に続き、主催者の森田さんから順にお客さんたちの自己紹介が始まった。この時点でこのライブは、もう既存のライブの枠を超えた未知のイベントとなっていた。
そして、一通り自己紹介が終わると、唄の始まりは朝花から。
そう、もうお分かりだと思うが、牧岡さんが唄ったあとは唄える人で朝花を回したのだった。
朝花の後は「何を唄おうか?」という話になり、ヒギャの伝統に従って俊良主、くるだんどと続き、後は思いつくまま気の向くままの唄遊びライブとなったのだった。
そして宴は進み、唄も佳境に入り、むちゃ加那も飛び出た頃、だんだん「こんなに音を出して近所迷惑じゃないだろうか?」といった雰囲気になってきた。会場のお店の周囲は商店街だが、お店自体が路地の中にあるため、普通の人家も近くてものすごく静かなのだ。なんだか島の人の家で皆で集まって話しながら飲んで唄ってるような雰囲気だ。
そして11時を回ったころに「もう遅いからそろそろやめようか」といったよくある会話でライブは終了したのだった。最後の唄は六調にしたかったが、チヂンの音がうるさいのでいきゅんにゃ加那を回して終わりにした。
***
感想を書くと、「むちゃくちゃ面白かった!」
どうやらシマウタは唄遊びの場から舞台へ移った後、また唄遊びの場に戻ってきてくれたようだ。まだぎこちないけど、初めて会った人たちと卓を囲んでシマウタを聞き、囃子を入れ、唄い、三味線を弾くのはまったく新しい体験だった。
このライブの中心が牧岡さんであったことはもちろんだが、むしろ牧岡さんが「うちじゃしべ」になって行なった現代の唄遊びというのが実態に近かった。このライブは観客のシマウタの熟練度が上がれば上がるほど面白くなるだろう。
またこんなライブがあるといいな。初対面のお客さんと話がはずんでまた会いましょうということになったのも良かった。普通のライブではありえない展開だ。
素敵な時間を作ってくれた牧岡奈美さん、斬新なライブを企画してくれた森田純一さん、ありがとう。でもできれば次は4本とは言わないから5本か、せめて6本にしてもらえるとありがたいです。
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そろそろ今年も東京奄美サンシン会の発表会が近づいてきた。
10月12日が本番なのでまだ時間があるが、
今年は「国直米姉節」に挑戦しようと思う。
ぼくがこの唄を知ったのは「南海の音楽/奄美」というCDで
浜川兄弟が唄っているのが初めだったが、
いまでもこのテイクは最高だと思っている。
だがぼくもそうだが、知り合いの誰も浜川兄弟の唄を
生で聞いたことがないし
このCDももう販売していないようなので、
おっさん二人の「国直米姉」二重奏をやりたくても
誰もわかってくれない。
仕方ないので雰囲気だけでも真似しながら
一人で練習中、というわけだ。
以前どこかのライブで貴島康男さんと中孝介さんが
二人でやってくれたことがあって、
すごく楽しかったのを覚えている。
自分のなかでは素人なりに
浜川兄弟にリスペクトして唄うつもりだ。
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年や寄て行きゅうり
先や定まらぬ
荒海に浮ちゃる
舟ぬ如に
時節柄、身に沁みる歌詞だ。
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昨日は東京奄美サンシン会の今年始めの練習日だった。
お正月ということもあり、朝花の次に宇検村の唄である「正月着物」を唄った。その後は宇検村でも「正月着物」を唄った後に必ずと言っていいほど唄うという「きんかぶ」を唄い、正月気分を満喫。
ところでこの「きんかぶ」だが、誰も見たことがないという話になり、いったいどんな植物なのか、その場は紛糾したのだった。
解説には「カズラ状の植物の一種で、所々に実がなり食べられる」とあるだけで詳細がわからない。そこで歌詞からわかることを分析しようということになった。つまり
「道ぬ端ぬきんかぶくゎ 来年もなれよきんかぶくゎ
わきゃがうれ知ちゅてぃ むりがきゃべろ サーサユイサヌサー」
<道端に生えているきんかぶよ、来年も実をつけるんだよ。
私が場所を見つけて知ったので(来年も)採ってやるよ>
という内容から考えると、細長い道が延々と続くような宇検村の道端にもそんなにたくさん生えているわけでもない植物だろうということになり、いろいろ考えた結果、徳之島出身の方の「キウイのようなすっぱい小さな実をつける植物があったからそれではないか」という意見が採用されることになった。
本当のところはどうなんだろう?
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2008年11月3日(月)、新大久保のR'sアートコートで恒例の「築地俊造 with RIKKI」ライブが開催された。今回は出産のため前回お休みしていたRIKKIさんが久々に登場。元気な様子を披露してくれた。
このライブは毎回テーマを決めて築地さんの味のある解説をまじえながら関連する唄を紹介していくが、今回は親子や家族の愛情にまつわる話だった。
子どもを産んでからキーがさらに上がったというRIKKIさん。よいすらを8で唄うので、さすがの築地さんも囃しを入れることができなかったのだが、代わりに会場から皆の囃子が入ったのにはびっくりした。ぼくなんか3だってきついのに・・・(笑) 皆なんでそんなに高い声が出るんだ?
さて、民謡は、言うまでもなく人々が長い間生活の中で唄い継いできたものだ。だから、その中には人生で大切なものがすべてつまっているし、ある程度人生経験を経ないと実感が湧かない歌詞も多い。むしろ、人生の苦労を知らないと民謡なんて唄えないんじゃないかと思うことさえあるくらいだ。
若い時は一見するとありきたりの歌詞にしか思えないものが、子どもを産んだり、家族を失ったりして身に沁みてくることもあるし、順調な時と逆境の時で心に感じるものが変わってきたりする。仕事や家事・子育てに忙殺されて唄に身が入らないこともあるし、唄以外にやることがないこともある。歳を重ねれば声もキーも変わってくる。唄も自分も同じままでいることはできない。時々、わけがわからなくなる。
でも、それがいいのだ。きっと唄い(聴き)続けることだけが、ぼくたちにできることなのだ。そんなこんな、全部ひっくるめてのシマウタだと思ったライブだった。
(写真はアンコールの行きゅんにゃ加那)
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以前新宿在住の宇検村のおばあに言われた。
「あんたは唄っているときに愛想がないねー」
これにはまいった。
愛想なんて、全然思いもよらなかったことだ。
だって、シマウタは奄美の人たちの魂の唄で、
過酷な歴史を背負った神聖なものだって思ってたし、
実際そういう説明をいつも聞かされていたから、
愛想よく楽しく唄うなんて考えもしなかったし、
それが東京の人間がシマウタを唄う礼儀だと
思っていたのだ。
唄っていたのは長雲だけど、
たしかに楽しい唄はあまり真面目に唄いすぎても
かえっておかしいか。
でもそのおばあは「そのまま唄いつづけなさい」って
言ってくれたから、きっとはげましてくれたんだと思う。
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19日(木)開催とのことです。
時間は7時からで会費は4000円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
(写真は前回の様子)
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みんなもうへとへとだった。が、・・・
「まだ唄い足りない」
とのお言葉により、三味線の唄遊びはそのままカラオケ大会へと突入したのだった(ここから先は詳細を省く)。石原さんは年齢不詳だが、美空ひばりと同い年だそうで、ひばりさんの歌には相当な愛着があるようだった。
ここでも石原さんは凄かった。なんと歌詞が映し出されるモニターに背を向けて歌うのだった。つまり、歌詞はすべて覚えているのだ(後で聞くとレパートリーは数百曲とのこと)。
こうして1時間ほどクールダウンして、怒涛のノンアルコール唄遊びは終りを告げた。正直、ぼくがその夜ぐっすり眠れたことは言うまでもない。
なにはともあれ、石原さん、いろんなことを教えてくださって、ありがとさまりょーた!
<追記>
石原さんのシマウタの知識と経験は、貴重な無形文化財だと思います(もちろんシマウタ全体がそうですが、とくに)。島の皆さん、石原久子アーカイヴス・プロジェクトみたいなの、どうですか?
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「やっと調子が出てきた」
なかには疲れてダウンする人も出始めていた頃、石原さんの一言に一同ア然とした。なんでも「20曲くらい唄うと声が出てくる」のだそうだ。
というわけで、ここからは石原さんのノンストップ・オンステージが始まった。休む間もなく次から次へとリクエストを要求し、どんどん応えていく姿は、唄袋湯湾のシマウタの真髄を垣間見る思いだった。
石原さんのシマウタは聴きなれた瀬戸内のシマウタとも焼内節とも違って、またひとつ独特で、聴いていて飽きなかった。特に今回初めて聴いた唄も何曲かあって、興味深かった(個人的には「ほこらしゃ」がかっこ良かった)。また唄の合い間にちょっとしたシマウタ講義も飛び出して、すごく参考になった。
こうして唄遊び開始から5時間くらい経った頃、人数も少し減ってさすがに疲れてきたので、終り朝花でお開きとなったのだった。
そのときまたもや石原さんの口から信じられないような一言が・・・!? (続く)
(写真は、祝い唄の時に替えたのが余ってるからと、石原さんからいただいた糸。どうもありがとうございます。使わないで三味線上達のお守りにしようと思います。背景の紫陽花は文章と関係ありませんが東京ではそろそろ見頃です)
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今日は東京奄美サンシン会有志の呼びかけによる、上京中の石原久子さんとの唄遊びだった。この会は、みんなにシマウタを覚えて欲しいという石原さんの熱い想いにより、いまや年に一度の定例会となりつつある。会場は都内某カラオケ店で、フリータイムを利用して1時すぎから始まった。
まずは1年ぶりの再会を祝して石原さんの三味線で参加者一人ひとり朝花から。形だけだが、なんとか回せるようになった。じつは去年の今ごろも同じような会を開いたが、その時は石原さんが一方的に唄って終りという感じで唄遊びという雰囲気にならなかったので、たいへんな進歩だ。去年一年の唄遊び練習の効果もあるはずだ。きつかったけど、やっぱりやって良かったと思った。
形式にのっとって朝花、俊良主、くるだんどの3曲をやってから、あとはフリータイム。石原さんがどんどん唄を繰り出し、時に他の人が三味線を弾いたりして、けっこう唄遊びっぽい感じだ。こうしてたいした休憩もないまま数時間が過ぎ、名曲の数々も聴くことができて、充実した気持ちのまま皆に疲れが出始めたので、そろそろ終りかな? という雰囲気になっていった。
そのとき石原さんの口から信じられないような一言が・・・!? (続く)
(写真は、たぶん俊良主)
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22日(木)開催とのことです。
時間は7時からで会費は4000円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
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マクセルのTVCMの奄美大島篇が
WEB上で公開されている。
素敵なCMだ。
ところでここにシマウタの起源が600年前と書いてある。
今から600年前というと、1400年頃だから、
琉球王国の成立の時期くらいか。
本土では室町時代の始まった頃だ。
根拠は何だろう?
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ここに書いた東京奄美サンシン会の唄あしび練習会だが、月に1回半年ほど開催して、先ほどいったん終了した。だんだん参加人数が少なくなってきてしまったからだ。
1)唄の旋律と三味線を憶えるのさえたいへんなのに、大量の歌詞を覚える余裕はまだない。
2)島口の意味も背景もわからないから、歌詞をおぼえにくいし、つなげられない。
3)なによりせっかく練習しても、肝心の唄遊びをする機会がほとんどないから、気持ちが唄遊びに向かない。
失速した理由はこんなところだろうか。でもぼくはすごく勉強になったし、お気に入りの素敵な歌詞をいくつか見つけることができた。
一度無くなってしまった文化を再生させるのはたいへんなことだ。だけど、島の人たちはみんなシマウタを覚えたいという強い気持ちを持っていると思う。上に挙げた3つの条件を一つひとつクリアしていけば、いつかたどりつけるだろう。
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4月の朝花唄あすぃびぃは24日(木)開催とのことです。
時間は7時からで会費は4000円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
もともと楽譜も教室もなかった時代には島の人々は
こんな唄アシビで唄を覚えていました。
あなたが本当にシマウタを唄いたいなら、
「模範唄」で覚えて実際の唄アシビで試してみるのはいかが?
毎日新聞の記事もご覧ください。
楽しむナビ:奄美のシマ唄を歌いたい。
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ここで紹介した森田照史さんのシマウタ教材「模範唄」の販売が再開されたようだ。
今回は業者に委託したため、15,000円での頒布とのことだが、それでも貴重な教材であり資料であることには変わりはない。
シマウタCDはたくさん市販されているが、教材を意識したものと芸術性を意識したものではウタも歌詞も三味線も自ずと違ってくる。ぼくはいつもオーソドックスな、ある意味で正調と呼べるようなシマウタのCDでウタを憶えたいと思っているのだが、シマウタに「正調」という言葉が似合わないこともよく理解している。
「模範唄」というタイトルは、明らかにこの「正調」を意識したタイトルだと思うが、もちろんそれは「森田照史さんの正調」という範囲を超えないという自覚の元につけられているはずだ。でもぼくはそこに限りない魅力を感じてしまうのだ。
「模範唄」の詳細および入手先は、こちら。
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本日開催とのことです。
時間は7時からで会費は4000円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
模範唄も発売再開です。
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森田照史さんがCD5枚、DVD5枚の併せて10枚というシマウタ教材を制作した(写真)。CDとDVDは内容が同じだが、DVDには森田さんが演奏する様子を収録している。
ぼくは時々シマウタのCDを聞きながら採譜することがあるが、この方法には欠点が2つある。1つは、どんな運指方法で音を出しているのかよくわからない部分が必ずあること。そしてもう1つは、たとえば唄声やチヂンの音に紛れて三味線の音が聞き取れなかったりする場合があることだ。
もちろんこれはぼくの三味線の技量の低さもあってわからないのかもしれないが、そもそもそれがわからないからこそ採譜して学ぼうとしているわけだから、やはり欠点だと言えるだろう。
ところがこの「模範唄」では、演奏場面の映像を収録することによってその欠点がほぼ克服された。音だけではわからない弾き方や押さえる勘所の場所、バチさばきなどが映像を見ることで理解できるのだ。
これは森田さんのシマウタ教室のORIさんが一人で編集して仕上げたものだ。シマウタの伝承ということを考える時、この教材は大きな意義をもつと思う。敬意を表したい。
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正月に入ってからのこと。
そろそろ本格的な唄の一つも覚えたいなと思って
「塩道長浜節」を練習し始めたのはいいが、
いきなり壁にぶち当たってしまった。
♪塩道長浜に童(わらべ)泣きしゅるや・・・
んん? 童泣き?
なんだろうと思って調べてみると、
童はけさまつのせいで死んでしまった青年のことで、
その青年の亡霊が夜な夜な塩道長浜で泣いているのが
「童泣き」らしい。
文潮光さんは赤子の泣き声だと解釈しているが、
死んだ青年が赤ん坊に戻って泣いているというのは
かなりおどろおどろしい感じだ。
きっとこの事件が起こった後、
当時の人々は<本当に>童の泣き声を聞いたんだろうな。
もしかしたらそれで騒ぎになったかもしれない。
この唄は、たぶんそんなふうに霊の飛び交う世界の
感性のなかから生まれた唄だ。
だとすると、もう童の泣き声を聴く感性を
失ってしまった現代のぼくたちは
どんな気持ちで唄えばいいんだろう?
難しい・・・。
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9月は27日(木)に開催とのことです。
時間は7時からで会費は3500円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
(写真は前回の唄あすぃびぃで「くるだんど」を唄う森田照史さん)
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19日の日曜日に、新宿の朝花でカサン唄のベテラン唄者、森山ユリ子さんの唄を聴いた。何か用事があって上京されたようだが、帰りに立ち寄ってくれて、ひとしきり唄を披露してくださったのだ(写真。ちなみに三味線は久保文雄さんが弾いてくれた)。
店内は森山さんの歌声を聴こうと集まった関係者で満員だった。それもそのはず、森山さんのシマウタはとてもまっすぐで、シマウタを志す者なら誰でも一度はお手本にしたことがあるのではないかというくらいすばらしいのだ。
事実、私は何人もの隠れ森山ユリ子ファンを知っている。なぜ「隠れ」ファンかと言えば、彼女はあまり東京で聴く機会がなく話題になりにくいから隠れているように見えるだけなのだが。ぼくはシマウタは生活の中の唄だと考えるから、森山さんのように島にどっしりと根をおろしてしっかりと唄い続ける姿勢はとても好きだ。
というわけで、当日朝花に集まったみんなと同じく、ぼくにとっても至福の夕べだったのでした。(写真掲載許可はとってあります)
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8月は23日(木)に開催とのことです。
時間は7時からで会費は3500円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
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タナカアツシさんのブログで「奄美民謡大観」について触れていたので、ぼくも少し書いてみたい。
ぼくの持っているのは復刻版の「奄美大島民謠大觀」のほうだ。この本がシマウタのバイブルであることは、言うまでもない。昭和八年の出版だから旧漢字が多用してあって読みにくいかもしれないが、若い人達にはぜひ一度目を通してもらいたいと思う。
ところで、ぼくは島の人間ではないので、こういった本を読む時はどうしても客観的に読んでしまう。たとえば島の人であれば自分の出身のシマの歌詞や伝承と違っていたら読む気がしなくなってしまうかもしれないし、逆にこの本の通りに唄うべきだと考えてしまうかもしれない。だがぼくにはそういった反応の生じる余地がないから、著者のこの言い方は納得できるし凄いなとか、こういう部分は時代的な制約も感じるしどうかな? とか、あれこれ考えながら読んでしまう。
そして、これはシマウタ全体についても言えることだ。シマウタは口承伝承なので、各シマジマの唄い手は自分が口伝いで習い覚えた唄を、解釈も含めてそのまま信じて唄い継いでいる。しかし、それらの歌詞や唄の解釈はシマごとに違っているし、時には矛盾した内容で伝承されているので、東京から見ているとどのシマの人の言うことを信じればいいのか、混乱してしまうのだ。
だからぼくはいつもいろんな人の意見を参考にしながら、自分なりに「こう解釈しよう」とか、「この唄はまだよくわからないな」とか常に考えてイメージを作っている。しかし同時に、こういったアプローチの仕方は客観的で冷静な解釈が可能になるものの、シマウタの生き生きとした口承の力を失ってしまうとも言えるだろう。
「奄美民謡大観」自体は、著者が自ら不備であることを承知しながらも、奄美大島の民謡がなくなりつつある現状を憂いて世に問うことにしたと書いているので、私たちもそういう点をふまえながら参考にしていけばいいのだと思う。
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7月は30日(月)に開催とのことです。
時間は7時からで会費は3500円。島料理が出ます。
詳細は下記サイトをご覧下さい。
朝花
(写真は前回の料理)
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昨日は東京奄美サンシン会の第一回目の唄あしび練習会があった。
これは数年前から企画していたものだが、東京では意識的に唄あしびを練習する機会を設けないとなかなかシマウタ本来の姿に接することができないし、また歌詞もたくさん覚えられないことから実現の運びとなったものだ。
初回はもちろん「朝花節」を回したのだが、実際にやってみると知っている歌詞でも字配りや節回しをきちんとこなすのは意外と難しくて、みんな結構苦労していた。また、長時間(と言っても4時間くらい)唄い続ける経験はなかなかできないので、終わってみるとかなりの満足感があった。
まだまだぎこちない練習会の域を出ないが、継続すればそれなりの成果が出せそうだ。
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喜界島の古い映像、音声、写真、唄、踊りなどをデジタル化して後世に残そうという活動を行なっている「グループ YON(ヨン)」という人たちがいる。
のんびりとやっているようだが、シマウタは「心に残る喜界の島唄」と「喜界島の島唄(ランプのもとの座遊び唄)」の2枚のCDがすでに製作されていて、音質は落としてあるものの「ラジオ 喜界島」のホームページに公開されている。CDに収められているのは両方とも三味線・田中働助さん、唄・菅沼節枝さん、浜田悦子さん、太鼓・南禎蔵さんのシマウタなどだ。
せっかくパソコンを使えば簡単に音源をデジタル化して保存できる時代になったのだから、シマウタや八月踊り唄(それとウタアシビの様子も)をもっとどんどん録音して保存したり、そういったものを有料でいいから公開して欲しいと思うのはぼくだけだろうか。
とりあえずぼくはこのなんともけだるい感じの唄三味線が好きで、WEBで聴くよりいい音質で聴きたくてCDを購入してときどき聴いている(CDの購入先はホームページに掲載されています)。このシマウタを聴いていると、すごく気が楽になるのだが、なんでだろう?
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男達がウタを唄った。
男達が三味線を弾いた。
そこには、華麗な裏声の響きも、
鮮やかな三味線のテクニックも、
優しい女性の囃子もない。
ただ不器用な男達のシマウタがあっただけだ。
しかし、どこまでも無骨で実直な男達の唄声は、
聴く者の魂の奥底を激しく揺さぶってやまない。
この世界にこんなシマウタがあったなどと
誰が予想しえただろう・・・。
彼らの名は「ザ・ネッセンジャーズ」!
(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)━━━━━━━━━━
あなたもこのめくるめく男達のウタの世界を
ぜひ一度体験してみてほしいお!!!
(写真は、昨日の朝花唄あすぃびぃで唄うネッセンジャーズの雄姿だ)
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阪神杭瀬駅下車すぐ
TEL:06-6489-0717
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みんな少しずつ唄を覚えています。
以前はまったく唄えなかったのにどんどん唄を
入れるようになった方もいました。
平成の東京で唄あしびでシマウタを覚える人が
出てくるなんて・・・。
(写真は朝花を唄う森田照史さん)
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<昨日(25日)の報告です>
今年のシマウタは屋上の特設ステージでの演奏だったが、今年一番の寒波に襲われたうえ強い風が吹くので、会場は体感温度2~3度くらいの冷蔵庫状態。やるほうも聴くほうも寒さとの闘いとなった。
そんななか最初のステージは、森田照史さんのシマウタ教室である花染会の皆さん総勢8人。一人ずつ唄を回しながらステージを組み立てて、なかなかの出来だ(写真左)。
次に牧岡奈美さんと前山真悟くんのステージ(写真右)。真吾くんのおしゃべりはここでも炸裂していた。声量もあるし、弾いて唄ってしゃべれると三拍子揃った真吾くんの今後に期待したい。それから牧岡奈美さんの唄と三味線をこれくらいの距離で聴くのは初めてだったので、とても感銘を受けた。彼女のライブは何回か実現が頓挫しているので、いつかまたぜひ東京で(今度はもっと温かい場所で)きちんと聴きたいと思った。
ところで大鹿児島展自体はいつものように大盛況で、ぼくもいつものようにタンカンを買った。5個だけバラで買って袋に詰めてもらったので、「5個しか買わないのか」と思われたかもしれない。でも本当はその前に5キロ宅配を頼んでいたので、5キロ足す5個買ったのだ。その売り場の方がシマウタステージの司会をしていたので、驚いた (笑)
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これまで諸鈍の浜辺でシマウタを唄っていたという
伝説の少年が、昨日の朝花唄あしぃびぃに現われた。
大和君、じつに楽しそうに弾いて唄うので、
見ているだけでこっちも楽しくなってくる。
(そう、これだよ、これ!)
って思わず心のなかで叫んだのだった。
この唄あしぃびぃ、大和君の勝ち!
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少し前の話になるが、仕事帰りに会社の近くの島料理の店で夕食を済ませようと立ち寄ったところ、ちょうど島出身のおじい達が飲んでいて、そのなかに知り合いがいたので同席させてもらった。
そのおじい達はシマウタが好きなようで、歌詞の解釈をめぐって議論をたたかわせていたのだが、面白いことにおじい達の間でも世代が違うと言葉の使い方も少し違っていて、それが歌詞の解釈にも微妙なズレを生じさせるのだった。
もっとも全員が異なるシマ(集落)の出身なので、その違いが厳密に世代の違いと言えるのかは疑問なところもあったが、改めてシマウタの難しさと面白さを感じた。
そのうちに議論にも飽きたのか、誰かが店の三味線を取り出して、弾いてみろと言われた。とりあえず自分のキーなので、調弦を2本くらいにしたら、「高い」と言う。唄遊びは一晩中やるのだから、最初から高くしてどうする、と言うのだが、一晩中なんてやるつもりないぞ (笑) でも初めて「高い」と言われたのには感動した。いつもは「えええッ? そんなに低いの?」といったリアクションしか返って来ないからだ。
ところで低すぎて沖縄のサンシンのような音になった三味線を適当に弾いていたら、バチが折れてしまった。ああ、もう弾けないと思ったら、おじいの一人がニヤリと笑って、なんと自分のかばんからプラバチを取り出した。マイバチ持参だったのだ。さすが島のおじい、あっぱれだ。
その後終電を遡ること数時間前にしてお開きになったことは言うまでもない・・・ (>_<)
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昨日の朝花うたあしぃびぃでは、店に復帰した山下聖子さんと森田照史さんが特別に数曲披露してくれた。気持ちの入ったいい唄だった。
それにしてもこじんまりとしたスペースで生音で聴くシマウタは、本当にいい。
(写真は山下さんが「請くま慢女」を唄っているところ)
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昨日の朝花うたあしぃびぃに行ったら、お誕生日ということで、花束とケーキの贈呈が・・・。さすがの師匠も、優しいお弟子さんたちの心遣いにちょっぴりうるうる? こころ温まる一コマだった。
うたあしぃびぃ自体は、沖縄のウタシャの絶品の島唄あり(本当に素晴らしかった)、若手の唄い手たちの競演あり、みんなでいきゅんにゃ加那ありで、とても内容の濃い時間となり、大盛況。
それから来月から某若手が期間限定で朝花に復帰するとのこと。毎日いるわけではないようなので、スケジュールを確認してからどうぞ。
(写真は還暦1周年を迎えて祝福を受ける様子)
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24日(木)は新宿・朝花の定例唄あしぃびぃに行ってきた。仕事を終えて少し遅れて行くと、もう店内は超満員、かろうじてカウンターに座らせてもらった。20人以上は入っているだろうか。三味線も始まっていて、いきなり「朝花節」で大盛り上がりだ。
とりあえず鶏飯をいただく。名古屋コーチンで作った濃厚なスープがすきっ腹に効いた。島じゅうりも島のみそを使っていてとても美味しかった。こちらが腹ごしらえをしている間もすぐ後ろで三味線が鳴り続け、横で唄が飛び出す。
常連さんも初参加の方も、みんな楽しそうに唄っている。唄の練習コーナーがあったり、ミニ歌詞カードが用意されていたり、なかなか工夫されていた。私も少しからだが温まってきたので、囃子を入れながらウォーミングアップ。一緒に三味線を弾いたり何曲か唄ったりして、遊ばせてもらった。
唄はどうしてもカサン節中心となるが、森田照史さんは何でもできるので、自分の好きな曲を自分で弾けば何でもありな感じだ。むしろどんどん精進して稽古をつけてもらうくらいの心意気でちょうどいいのではないだろうか。もともと奄美のシマウタは唄遊びの場で覚えるのが昔風なので、本当はこういう場所が本来のシマウタ教室なのだ。
森田さんは「この唄あしぃびぃは採算を考えずに続ける」と話しているが、それはこの場所で昔ながらのシマウタを学んでほしいという気持ちからくる言葉だと思った。
(写真はすばやどを唄う森田さん。唄あしぃびぃの日程は朝花のブログ参照)
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石原久子さんのDVD「なつかしゃ」が届いた。
内容は、南大島を中心にした人と風景の映像と石原久子さんの解説を入れて唄を収録したものだ。宇検村にゆかりの人なら、そこかしこに知人や見知った風景、行事が出ていて、楽しめる作りになっている。
映像は時に石原さんの普段着の姿を映し出し、プライベートビデオの様相も呈しているが、それはそれで面白いし、きっと普段の雰囲気そのままなのだろう。そのなかできばらずにシマウタを唄っているのがなつかしくて、いい感じだ。
石原さんは先日の東京奄美サンシン会の発表会でも元気なお姿を披露してくれた。懇親会でもこれでもかというほど惜しげもなく唄を唄ってくださった。このビデオにはそんな石原さんのきさくな人柄が表現されていて、楽しめる。
こういった作品がいろいろ出てくるとまた面白くなるだろう。シマウタは生活のなかのウタなのだから、気取らずに今の普段着のまま映像にしたって、いっこうにかまわないのだ。
(写真は2006年5月7日(日) 大塚・そてつにて)

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忘れないうちに感想を書いておきます。
6月4日(日)の「奄美島唄 IN 練馬~築地俊造と若者たち~」で一番輝いていたのは、やっぱり今が旬の中村瑞希さん。上がれ日ぬ春加那とはこういうことかと思うくらい。そしてちょっと唄と三味線が変わった気がしたのが中孝介くん。どう変わったのか、もっと聴きたかった。でもメジャーでポップスを唄いながらシマウタも進化しているのは立派だ。
10日(土)の『まじんまゆらおう唄あしび 奄美・徳之島巨匠の唄ごえ』は、逆に変わらない貴島康男くん。しばらくごぶさただったが、久しぶりに彼の唄を聴けて良かった。あと、泉サダ子さんの唄を初めて聴いて、これも良かった。東京はこういうベテランの唄を聴く機会はあまりないのでちょっと寂しい。泉さんを呼んでくれてありがとう。
それから中島清彦さんも、少し唄が変わった気がした。徳之島に移住して徳之島のシマウタを唄っていることが影響しているのかなと思った。
ウタが変わるということがどういうことなのか、ぼくにはまだよくわからないが、変わるのもいいし、変わらないのもいい。うまくなるのもいいし、くずれてくるのもいい。人それぞれのそのスタンスが、きっとシマウタだ。
(写真はまじんまゆらおう唄あしび)

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6月4日(日)、10日(土)と、二週続けて大きな唄会を観た。二つの会に共通するのは、こういう唄会をやりたいという主催者の想いが発端になっていることだ。
前者の「奄美島唄 IN 練馬~築地俊造と若者たち~」は、同郷のウタシャと若者達を呼んでシマウタの会をやりたいという笠利の方の想いが実現したものだし、後者の『まじんまゆらおう唄あしび 奄美・徳之島巨匠の唄ごえ』は、こじんまりした会場で、シマウタを大切にしてこわさないように気を配ったライブをやりたいという主催者の情熱が実を結んだものだった。
そういう意味で、ぼくはこの二つのライブはとてもいい唄会になったと思う。シマウタの会は、奄美会の芸能祭のようなオールスターの唄会も楽しいけれど、こんなふうにコンセプトを決めて手作りでやる唄会も、すごくいい。
結局、シマウタを生かすも殺すも唄い手と開催者、そして聴き手がいかにシマウタを愛しているかにかかっている。東京でこんな会ができたのだから、まだまだシマウタは大丈夫だ。そんなふうにこれからの奄美シマウタの唄会の可能性を感じることができたのが、何よりの収穫だった。
そして、こういったライブが開催され続けていけば、これから続く若者達にも、魅力的な目標になっていくだろう。奄美民謡大賞のような個人の技量を競う会も必要だし、そこからさらに表現力を高めていくための唄会も必要だ。教室(あるいは個人)での地道な練習も必要だし、唄遊びの自由な表現の場も必要なのだ。
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もしかしたら信じられない人もいるかもしれないが、ぼくは今まで、シマウタに対して遠慮してきたつもりだ (笑)
それは、シマウタが血縁関係で強く結びついた奄美の人々の政治や宗教も含めた生活のなかにまだ生きているウタだから、ぼくが関わる根拠がないし、また奄美の人々の政治的運命は奄美の人達が自分で決めることだから、口出しはできないと思っていたからだった。
ぼくが東京にこだわって奄美音楽という観点からサイトをつくっているのもそのためだ。そのスタンスは今でもあまり変わらない。
しかし、そうしたスタンスを取り続けることは、自分のなかでシマウタに対して心理的な壁をつくってしまう結果にもなっていた。具体的には、たとえばどうしても自由に弾き唄いする気になれなかった。
今ぼくは楽譜を使って練習しているけれども、それは他に適当な方法がないこともあるが、一度楽譜という客観的なものに変換してからでないと関わってはいけないような気がしているからそうしている部分がある。この感じは島の人にはわからないかもしれないが、シマウタに関わろうとする本土の人なら多かれ少なかれ誰もが感じているはずだ。
でも、気が付いてみるといつの間にか郷友会に行って皆で三味線を弾いたり、唄遊びで一緒に弾き唄いしたり、発表会で唄ったり踊ったりしている自分がいて、これはもうシマウタへの客観的なスタンスを大きく逸脱しているとしか言いようがない。
そこのところですごくギャップを感じていて、ずっと苦しんでいたのだが、あるきっかけですごく気持ちが楽になった。
それは、とあるライブで偶然に知り合った方が加計呂麻島で天然塩を造っている人だということがわかって、さっそく取り寄せたのだが、その塩(美味しいです)をなめたり料理に入れたりしているうちに、何だか自分の身体のなかに奄美の海が入り込んでしまったような気がして、それまで感じていた心理的なわだかまりが消えてしまったのだ。つまり、ぼくの血のなかに奄美の海が入っているのなら、自由に弾き唄いしてもいい。そう思えるようになった。
もしかしたらこれは島のカミサマがぼくにくれた贈り物なのかもしれない。
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5月にぼくが今お世話になっている会の発表会がある。例年10月開催なのだが、今回は10周年ということで、特別に5月開催になった。奄美から石原久子さんもお招きしての、堂々の舞台公演だ (笑)
というわけで、また唄うことになった。曲は今回も「らんかん橋」。違う唄にしようと思ったけど、準備期間が半年と短いし、ぼくの声がこの唄に合っているというので、また同じにした(ただし歌詞は変えて唄います)。
去年の10月は、
大水ぬいじて さいたながば洗れ流らち
磯者ぬ刀自や 泣ちどまた戻る
長雨切りゃがりや 沖やとれどれと
沖やとれどれと 七離れまた見ゆる
という歌詞で唄った。
「大水でえさの小エビがみな流れてしまった。漁師の奥さんが泣いて帰っていったよ。この雨が上がれば、また沖も凪いで遠くの島まで見通せるようになるよ(そうすればまた漁ができるようになる。だから泣かないでください)」というような解釈だ。
この解釈が妥当かどうかはわからないけど、「沖やとれどれと」を2回繰り返すところが、天候の回復を願う気持ちの強さを感じさせるし、またそう唄うことで実際に雨が止んで欲しいというふうに言葉に呪力を持たせているのではないかと思われて、気に入ったのでこの歌詞を選んだのだった。
今回はまた違った歌詞で唄うが、歌詞が違えば全然違う唄のように楽しめるのが、じつに奥深くて面白い。
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最近、東京のあちこちで、少しずつウタアシビが行なわれ始めているようだ。ウタシャのいるお店で、島関係の居酒屋で、あるいは誰かの家で、またはライブ形式で・・・。参加メンバーやウタのやりとりの仕方は様々だ。
と言っても、唄遊び自体は昔から行なわれていたはずだ。郷友会関係の集まりや、島からウタシャが上京するのにあわせて皆でどこかに集まって行なったり、東京のシマウタの会のメンバー同士や仲間内で行なったりしたことは、たくさんあったと思うし、今も行なわれていると思う。それは昔ながらの唄遊びの雰囲気をそのまま残した懐かしい集まりだ。
でも、今東京で起きていることは、これまでとはちょっと違う気がする。どこが違うかと言うと、たぶん、一度芸謡化の波をくぐったシマウタが、そこからまたウタアシビのほうへ回帰した形で、意識的に行なわれている点だ。そしてそのウタアシビを担うのは、昔の唄遊びを知らない若者達が中心だ。
ぼくは、奄美のシマウタは、人と人とのウタの交感の世界だと思うから、舞台からの一方的なウタの表現よりも、ウタアシビのような形式で参加者も巻き込むような場のほうがその本来の姿を楽しめると思う。
それは、今まで東京でたくさん行なわれてきた舞台でのシマウタとはまた違う世界へと、参加者を誘ってくれるはずだ。そして、島出身の若い人達や東京の人達も、そんなウタの交感の世界に惹かれ始めているようにみえる。
ぼくは、この動きが大きな波となって、シマウタの新しい潮流へと発展していくことを願わずにはいられない。
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昨日、新宿・たかぐらで開催された「やちゃぼうねっと唄遊び Vol.3」は、とても楽しかった。まずは井ノ川ゆかりの藤山和也さんと大阪ゆかりの山内由紀子さんによる徳之島のシマウタ。藤山さんのシマウタは、素朴で味があって、シマの香りが漂ういいウタだった。場馴れしていないところもとても新鮮。山内さんのウタを聴くのはこれで2回目。心なしか前回より大人しめだった。
藤山さんはMCは苦手ということだったが、徳之島のシマウタにまつわる話は参考になった。関西のシマウタの雰囲気を少し教えてもらった気がする、いい企画だったと思う。主催のやちゃぼうねっとのみなさん、貴重な機会をありがとう。
藤山・山内コンビのウタがひととおり終わると、今度は参加者みんなでウタアシビとなった。恥ずかしながら、私からヒギャ朝花の三味線の音をださせてもらった。まだ三味線を始めて1年半だからちょっと躊躇したが、かっこつけても仕方ないので、間違えないように楽譜を見ながら弾いた(ちょっと反省)。
そのあとカサン朝花を別の人が弾き、それからはいろいろなウタがとびだした。三味線もいろいろな人が弾いた。それにしても人それぞれに違うウタを聴くのがこんなに楽しいとは思わなかった。たぶん参加したみんなも同じ思いだったんじゃないかな。
もちろんウタシャたちの本格的な歌掛けには及びもつかないけど、教室とも郷友会とも関係なく、また単なる仲間内だけの集まりでもなく、こんなウタアシビができたことは、大きな成果だと思う。これが東京のウタアシビの一つの雛型になりそうな予感・・・。
そしてなにより一番嬉しかったのは、みんな心の底からシマウタが好きなんだということがビンビン伝わってきたこと。焼酎も料理も美味しかったし、またいつかやる時はぜひ参加したいと思いました。
追伸 ところで、こういう集まりの場合、三味線のキーをどのくらいに設定するかは、難しいものがあった。ぼくは声が低いので、昨日の高さだときつい。高めと低めの二つのキーの三味線を用意して使い分けるといいかもしれない。
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初めて見る節田まんかい(正月まんかいが正式名とのこと)は、新鮮だった。
出演者が昔の思い出を語ってくれたのだが、昔は若い男女が親のいないところで出会いを求めて遊んでいたのが今に残っているとのことだった。そう考えると、ちょっと華やかでういういしい感じのメロディーや、ほんの少しだけ相手の手と触れ合う手の動きも納得だ。
女性が太鼓を打つ節田の八月踊りも良かった。聴いていて血が熱くなったので、最後の六調では、思わず知人と一緒にステージに登って節田まんかい保存会や郷友会の皆さんと踊りまくってしまった。きっと後でビデオを見て「あれ、これ誰?」って悩む人がいるかもしれないな (笑)
でもお客さんが少なすぎたので、盛り上がりには欠けた会だった。どうしてもっと宣伝しないのかなぁ。無料だったのに、もったいなさすぎ・・・。
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2005年11月26日(土)に開催される第55回全国民俗芸能大会に笠利町から節田まんかい・八月踊り・島唄が参加するようです。ネット上に情報がないのでこのブログにだけアップしておきます。
13:30からの昼公演は他にも南津島の田植踊りなどと一緒に四演目で出演、18:00からの夜公演は節田まんかい・八月踊り・島唄のみです。
料金は無料のようですが、往復はがきで申込みの必要があります。詳細は日本青年館の全国民俗芸能大会係にお問い合わせください。
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昨日は、15,6で島を出てからずっと東京で暮らしているという和野出身の70歳のおじいさんと知り合いになった。シマウタが好きで、こっちに来てからも自己流でずっと唄っていたという。
そのおじいさんは、昔のシマの香りたっぷりで今はあまり唄われないような節のカサン朝花(その人は「はやり節」と言っていた)や野茶坊や八月踊り唄を唄ってくれた。この節はうら覚えで、昔の節通りかどうかわからないけれども、とさかんに気にしていらしたが、ぼくにはそんなことはどうでもよかった。
5,60年前のシマの記憶と、その後の人生の重みがつまったシマウタを聴かせてくれたのだ。これ以上望むことがあるだろうか。
そのおじいさんはまた、いきゅんにゃ加那を唄いながら、歌詞にも出てくる道弾き三味線の記憶を話してくれた。昔のシマの道は細くて、防風林に囲まれた静かな道だった。そこをおそらく青年会場へ赴くか帰ってくるシマの青年がいろいろな想いを込めて歩きながら弾いているだろう三味線の音を聴きながら眠ったそうだ。
青年会場というのは、信託統治時代に流木や山の木を集めて作った建物で、そこで自由主義や英語の勉強をしたということだった。そのおじいさんも三味線を道弾きしたことがあったそうで、懐かしそうに話しては唄ってくれたのだった。
別れ際に「あなたはいつシマを出てきたんですか?」と聞かれたので、ぼくはヤマトンチュですと答えると驚いた様子で、何度も何度も固い握手をしながら、また会ってシマウタを唄い、シマの昔のことを話しましょうと約束したのだった。
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だとすると、すでに歌掛けのスタイルを失い、シマの独自性も薄れ、かつ仕事ウタやカミウタとしての要素も失いつつある現代の島唄のライブは、どうだろうか。
やはり踊らないと聴くほうもやるほうも不安になるのではないかと思う。
しかし歌詞が固定されて冗長になってしまった島唄をずっと唄っていても、お客さんもメリハリが少なくて飽きてしまう感じだし、伴奏を三味線以外の楽器でつけることで変化を生み出したり、打楽器を導入してリズム感を強調してもなかなか踊りに結びつかないだろう。
今の島唄は芸謡化して感情を込めて聞かせる島唄となり、三味線の伴奏テクニックも高度化していて、昔よりテンポがゆっくりになっているから、余計そうなってしまう感じだ。
そこで現代の新たな課題として、新しい踊り唄を導入する必要性が生まれる。伝統的なシマウタを大胆に編曲し直したり、新たに作詞作曲したりして、どんどん作ればいい。ウタが生きるなら、楽器は何でもいいのかもしれない。
ぼくはそれを奄美音楽と呼んでいるというわけだ。
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ところで矛盾したことを言うようだが、シマウタのライブで踊る必要は、あるんだろうか?
(とりあえず六調・天草などは除いて考える)
ぼくはないと思う。理由をいくつかこじつけてみると、
1 もともと歌掛けをしていたわけで、踊りが目的ではない。
2 踊りウタは八月踊りが別にある。
3 仕事ウタとして考えれば、これも踊らないはず。
4 そして八月踊りも六調も、カミゴトの色彩が強いので、楽しんで踊るというのと、ちょっと違う。
こんなところだろうか。
もちろんこれは東京の人間の勝手な思い込みかもしれないので、話半分で読んで欲しいのだが、ぼくはシマウタのライブでみんなが静かに聞いているからといって、悪いことは何もないと思う。
以前もどこかで書いたことだが、奄美の浜辺で一人っきりで騒いでいる人はいないはずだ。そこではだれもが気分が落ち着いて、心から満たされてただ静かに海を感じているだけなのに違いない。
ぼくの考えでは、シマウタを聴くということはそれと同じことなので、わざわざ踊る必要がないのだ。もちろん楽しければ踊ったっていっこうに構わないけど。
ちなみに最後に六調で踊って終わるのは、海のカミガミの世界からいのちを招きながら人間の世界に戻ってくることを意味しているような感じがする。それはたぶん、死と再生の偉大な儀式なのだと思う。
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ぼくは今シマウタの教室(というよりもサークルといったほうが実態に近い)で三味線とウタを練習しているが、奄美居酒屋の2階を借りて練習していることもあり、お礼の意味も含めて練習のあとは必ずそのまま飲み会になることが暗黙の了解となっている。
その日ももちろん練習が終わってから飲み始めた。2階はちょっと広くてぼくたちだけでは席が埋まらないので、他のお客さんたちもどんどん入ってくる。そんな時はいつも最初はおしゃべりだけしながら頃合を見計らって誰かが「ちょっと唄いますけど、いいですか?」などと聞きにいき、OKの返事をもらってから気を使って唄遊び(の真似事)を始めるのだが、その日はちょっと違っていた。
東京在住の若手ウタシャが遊びに来ていたので、お稽古の最中からちょっとした唄遊びっぽくなってきていたのだが、お稽古が終わるまで1階で飲んでいたお客さんたちが興味深深だったのだ。そしてその人たちが2階へ上がってきてから、こっちをちらちら見ているので、こりゃあやらざるをえないなあ、という感じになってちょっと飲んだだけで唄遊びとなった。
宴は大いに盛り上がって、最後は六調でそのお客さんたちも巻き込んで踊りまくった (^^)
で、話はその後のことなのだが、満足してくれた様子のお客さんが、帰り際にこんなことを言ったのだ。
「戦争のない平和な世界が来るといいですね」
「・・・?」
ぼくはしばらくぽかんとしていて、そのあとずっと考え込んでしまった。
ぼくたちはただシマウタと酒が好きで飲んで唄って騒いでいるだけなんだけど、それがどうしてこんな反応を引き出したんだろう? この人たちはぼくたちが酔っ払って唄っていたシマウタをどんなふうに聞いていたんだろう? この人たちは本当に心から楽しんで踊ってくれたのだろうか? などなど・・・。
ぼくは何かとても誤解されているような気がして、後味が悪くて仕方なかった。そして、東京でシマウタがなかなか受けない理由は、このあたりにあるのかもしれないとも思った。
PS. ぼくたちと一緒に唄遊びをしてくれる奇特な方がいらっしゃいましたらぜひメールしてください。ワリカンで歓迎いたします (^^;;
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奄美音楽情報にFMわぃわぃの告知を出してくださっている米里さんがライブを企画したというので、行ってきた。会場は秋葉原の小さなライブハウス。出演者は徳之島の幸野泰士さん、東京在住(?)の松崎博文さん、北海道在住の皆吉恵理子さん、そしてたぶん東京在住の里アンナさん、そして嬉しいことにこれまた東京在住の山下聖子さんが飛び入りで参加してくれた。
ヒギャ、カサンとりまぜた朝花から始まったライブは、唄い手が入れ替わり立ち代わりで唄を披露してくれて、楽しめた。幸野さんの徳之島の香りただようウタと三味線、松崎さんの堂々としたウタ声と三味線の技、皆吉さんのベテランの味、里さんの圧倒的なウタ声、そして山下さんの情念のウタ。
東京で島の人が奄美会主催ではないシマウタのライブを企画し、若い人たちが力をつけてきた様子を見ることができるなんて考えもしなかったので、本当に嬉しい。これまではそういったライブは築地俊造さんとRIKKIさんの定期ライブしかなかったからだ。
私は、そろそろ島の人たちも奄美会という母親の懐から一歩踏み出して、自前でライブを行なうべき時が来ているのだと思う。みんなウタと三味線の技量はもうかなりの域に達しているから、あとはライブ会場で見知らぬ人々を前に唄ってタマシイを磨く段階に入ったのだ。
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ぼくが今お世話になっている東京奄美サンシン会の今年の発表会は、
10月23日(日)だ。
そう、つまり
R'sアートコート奄美島唄ライブ vol.4 築地俊造 With RIKKI(東京)
と日時が重なってしまうのだ・・・ (T_T)
悲しいぞ(ホントです)。
先日もぼくはアニョと二人で泣いたのだった(これはウソです)。
でも、一生懸命唄うことでシマ唄の世界に少しでも近づけるなら、
築地さんもRIKKIさんもSさんもKさんもきっと許してくれるに違いない、
そう考え直して練習に励むことにした。
ちなみにぼくが唄うのは「らんかん橋」。
しのでぃくゆる加那や~情け橋かけてぃ~
の一連の歌詞は道ならぬ恋の唄だと思うので
男が一人で唄ってもむなしいから、違う歌詞で唄います。
もちろんこのブログをお読みの賢明な読者の皆さんなら
判断を間違えることはないと思いますから、
来て、とも、来るな、ともあえて言いません (^^)
と言うか、立場上言えません (笑)
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先日奄美の人たちと飲んだ後、カラオケに行ったらシマ唄が入っていた。酔っ払っていたので何が入っていたか忘れたが、新民謡を中心にしたラインナップのなかに純シマ唄もかなり入っていて、びっくり。みんなで歌って踊りまくって大盛り上がりだった。
でも伴奏は三味線の音に似せた電子音だったのがちょっと残念。歌詞は、なかなか普段歌わないようなものが入っていたりして、いったい誰が入れたんだろう? というのが今一番知りたいこと。
うーん、気になる・・・。
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10月22日(金)に新大久保で行なわれた「R’sアートコート奄美島唄ライブvol.2 『築地俊造 with RIKKI』(東京)」に行って来た。
このライブシリーズは渋谷ジャンジャン時代から続いていて、奄美のシマ唄が好きな人たちに支えられてきた。今回も島の人達がたくさん来ていて、私はこのライブに来るたびに島の人達のシマ唄への想いの深さを感じて胸が熱くなる。
今回のテーマは唄半学ということで、教訓歌の数々が披露された。築地さん自身は「ちょっと高尚でつまらないかも」と言っていたが、東京の聴衆はシマ唄で楽しむために来ているのではなく、シマ唄と島の雰囲気に少しでも触れたくて来ているので、皆十分満足している様子だった。
RIKKIさんのコーナーではギターの菅原弘明さんも登場。来年1月19日に発売予定の新譜からのナンバーだ。シマ唄からは「長雲」、そして「朝花」。両方とも凄くいい。とくに「朝花」は、前々からギターでやるのは無理じゃないかと思っていたのに、ゴキゲンな仕上がり。12月11日の二人の Cafe Live 、期待していい感じだ。
ライブの最後は六調。私も踊った。開催者のSさん、Kさん、いつもありがとう。
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私は今「薩南の島々」(朝日新聞社、1969)という写真と文章で構成された本を読んでいる。JENさんが「いいものを見つけたから」と言って貸してくれたものだ。
この本の中には種子島・屋久島・トカラ列島から奄美群島までの、未だ昔の民俗が色濃く残されていた時代の姿が記録されていて、たいへん興味深い。たとえばまだ茅葺きの家があったり、加計呂麻島の祝女(ノロ)が生きていたり、タブの木で作ったくり舟が浜辺に無造作に置かれていたりする。
考えてみると、私がまだ幼い頃、母に連れられて帰省した信州の伊那谷の風景の中にも、古き民俗の香りはたくさん残っていた。土間と囲炉裏がある農家の大きな家に住んでいた祖母はいつも和服姿でお歯黒をしていたし、古い煙草盆を横に置いてキセルで煙草を吸っていた。風呂は五右衛門風呂で、もちろん毎日の薪割りは男たちの日課だった。
家の中にはたくさん神様がいて、仏壇や神棚、ご先祖様の遺影、台所、棚の上など、なぜか知らないが毎朝お茶を供えて拝む場所がそこらじゅうにあった。隣の家には蚕がいて、皆「お蚕様」と呼んで、夏でも火鉢を使って大切に温めていた。お盆には山のお寺から木の枝にご先祖様を乗せて家に連れてきたものだ。
海の暮らしと山の暮らしの違いはあるものの、この本に記録されている民俗の姿は、まぎれもなく私の古い記憶の中にも存在している。そしてもちろん、それらの姿は今はもうほとんど残っていない。今の若い人たちがシマ唄のなかの古い民俗の姿を理解できなくても、そりゃまぁ、仕方がないこと、かな。
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10月11日に浜松町「だるま」で開催された唄遊びに行ってきた。以前はJR浜松町駅のホーム北側から見えた「だるま」の建物だが、大きなビルが目の前に建ってしまってもう見えなくなっていた。でも人に説明するときにその建物の真裏だと言えばよくなったので、かえっていい目標が出来たかも。
ここの店長は名瀬出身。焼酎もじょうごが置いてあり、奄美関係者がよく利用するお店だ。3階の広いスペースを貸し切りにしてくださった店長のご厚意がなによりうれしかった。
この日のメインはもちろん古仁屋からいらっしゃったNaoさんと保田大介さんの唄。お二人ともかなり緊張していた様子だったが、竹下流の切れのある三味線に味のある唄を聞かせていただいた。自分ももっと三味線と唄を練習しないといけないなと反省することしきり。
そしてその後は東京ではお馴染みの面々が自慢の唄を披露してくれて、久しぶりにとても楽しい時間を過ごさせていただいた。midoriさんにも何か唄えと誘われたが、こんな上手な人達の前で披露できるような唄ではないので、パスさせてもらった。
そして最後は全員で入れ替わり立ち替わりの六調。特に太鼓が森田照史さんに代わるとそこはもう奄美になったようで、久しぶりに思い切り踊って厄を払えた気がした。
昔と違って、シマ唄の関係者が東京から奄美へ行ったり、奄美から東京へ来たりする機会は格段に増えている。東京でも何かの用事で上京した人を囲んでの私的な唄遊びはそこかしこで行われているはずだが、こんなふうにネットを介して知り合った人々が東京と奄美の距離を超えて集まるような会は初めてだと思う。
これからも時々こんな会があるといいな。
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さて、そろそろこのタイトルで書くことも最後になった。この入門法で私が書きたかったことは、あくまで「東京の人がシマ唄を習うためのちょっとした予備知識」でしかないので、あとは実際にシマ唄を始めてもらえばいいだけの話だからだ。
最後に言っておきたいのは、あまりあせってうまくなろうとしないほうがいい、ということだ。それはシマ唄がもともと生活の中の唄であり、うまくなることにどれほどの意味があるのかわからない、ということもあるが、本当は「ウタ」はゆっくりとしか育たないから急ぐ必要がないと言いたいのだ。格好つけて言えば、「たましいは少しずつしか成長しない」ということになるだろうか。
私は奄美のシマ唄はたましいのウタだと思っているから、一つの唄に少なくとも1年くらいつきあって、苦しいことも楽しいことも全部その中に入れて育てる必要があると思っている。そして自分のたましいに響く唄を見つけたら、それだけを一所懸命唄っていればいいのではないか、と考えている。なぜなら日本民謡は、そんなふうに唄い継がれてきたからだ。
私はこのコラムを読んだ方が、一人でもいいからこのたましいの門をくぐり抜けてくれることを望んでいる。
(この項ヲワリ)
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私はもしもあなたが奄美大島のシマ唄を習いたいと思うならば、ヒギャとカサンのどっちが自分に合っているのか、じっくりと聴いて考えて選んだほうがいいと思う。
東京では三味線を弾ける人の数自体が少ないので、自分で弾けない唄い手が東京でシマ唄ライブを開催する時は、誰に三味線を弾いてもらうかということが重要なファクターになる。もちろん囃子もだ。とにかく三味線を弾ける人を探すのが大変なのだ。そんな状況では三味線を弾ける人がカサンかヒギャかなどということを気にしている余裕はない。とにかく誰でもいいから三味線(と囃子)を付けてくれれば御の字だ。
だからとりあえずそれでいいのだが、最近の私の実感としては、やっぱりヒギャとカサンの感覚は、相当違うんじゃないかという気がしてならない。ヒギャ弾きの三味線でカサンの人が唄ったり、カサンの人の三味線でヒギャの人が唄ったりするのを聴いていると、やはりどこかにしっくりいかないところを感じることがあるのだ。
そしてやはりヒギャ唄はヒギャ弾きの三味線で、カサン唄はカサン弾きの三味線でじっくりと思う存分聴きたいな、という思いがつのってくる。つまり、これぞヒギャだ、あるいはこれがカサンだ、というようなものを感じさせてくれるようなライブも聴きたいのだ(それが凄く無茶な要求であることはわかっているつもりだ)。
これまで書いてきたことと矛盾するようだが、やはりシマ唄はそのシマの唄い手と弾き手で聴くのがいいと思う。「ヒギャはヒギャに、カサンはカサンに還れ」ということになるだろうか。そしてそれぞれの感性が極限まで追求された時、ヒギャはヒギャのままで、カサンはカサンのままで世界に通用するはずだ。
シマ唄を習うなら、そんな感覚の奥深くまで感知して習って欲しいと思う。だから、最初にどちらかを選ぶ覚悟で始めて欲しいのだ。
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シマ唄は、大島であればおおざっぱに言えばカサン唄、ヒギャ唄の区別があり、喜界島や徳之島など、島ごとにも違いがあって、それぞれ味わいが違う。島の出身者であれば、自然と自分の出自に関係するシマの唄をそのシマの言葉で唄うことになる。ある意味でそれは持って生まれた宿命のようなもので、選択の余地はあまりないと言えるだろう。
ところが、奄美とは何の関係もない私たち東京人にとっては、それが可能であればどの島のどのシマのどの唄者の唄を習ってもいいことになる。これは東京人がシマ唄を習う際の最大の利点であり、また弱点ともなるものだ。
もちろん、実際には東京のシマ唄教室はまだ数えるほどしかないわけだから、ほとんど選択の余地はないのだが、しかし基礎を覚えたらやはり自分の好きな唄者やシマの唄を真似して唄いたくなるはずだ。そんな時、東京人には何のしがらみもないので、とにかく、好きなシマの唄を習えばいいということになる。場合によっては、三味線ではなくギターやピアノで唄ったって、いっこうに構わないのだ。
でもこれが島の人だったら大変だ。笠利の人が「じつはヒギャ唄のほうが好きだった」などと言い出してヒギャを唄いだすのは、おそらくかなり勇気が必要だろう。家族や親戚ばかりか、シマの人達からもなんで「他所ジマ」の唄なんて唄うんだ、などと非難轟々となる事態は必至だからだ。
だがそれは東京人の私から見ると、まだシマ唄が生きている証拠で、幸せな束縛だ。私たち東京人には、そういった意味での地縁と伝統の束縛は、もう何もない。だから、東京人には東京人のための新しいシマ唄が必要となる。それは、これからみんなで探し出し、創り出していかなければならないものだ。私はそれを「奄美音楽」と呼んでいるわけだが、それはもしかしたら、東京人のためのものだけではないのかもしれない。
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というわけで、東京のシマ唄教室というのは、多少の例外はあるものの、たいていは皆でどこかに集まってわいわいがやがやと昔ながらの唄遊びの感じを漂わせながら行なわれているというのが、たぶん実情だと思う。
東京で公共施設の音楽練習室などを借りるのは、競争率が高くてたいへんだ。運良く取れたとしても、次回も取れる保証はないし、1回ごとに予約しなくてはならないから、いつどこで練習するのか、毎回わからないということになる。そして時間の制約もある。また、有料のスペースはとても高いので、毎回利用するのは無理だ。
だとすると、飲み屋さんなどの営業時間外に場所を貸してもらって練習して、練習後はお礼にそこで飲みながらの唄遊びという形になっていくのが自然だと思われる。お店だとスペース的に限りがあるので、必然的に大人数の練習は無理だから、こじんまりとしてしまうだろう。
でもこれでは本格的なシマ唄の練習はなかなかできないのではないかという気もするが、もともと奄美でもシマ唄教室ができたのはそんなに昔のことではないし、それまでは皆、唄遊びの場で見よう見まねで覚えていったわけだから、これでいいのだという気もする。つまり唄遊びは練習の場でもあったわけだ。それにお酒を飲んで唄ったほうが裏声がよく出るし、酔って上手に弾き唄いするのはとても難しい。
ぐでんぐでんに酔っ払ってもきちんと三味線が弾けて、歌詞がでてくるようになれば、その唄は自分のものになったと言ってもいいのではないだろうか。
東京のシマ唄は、まだまだ昔風なところがあって、面白いのだ。
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「口承伝承の唄としてのシマ唄のあり方が、ある意味で東京のほうがその本質がよく現れている部分がある」というのは、いくつか要因がある。その第一は、すでに書いたように東京の奄美人たちのシマ唄の記憶が、本土に出てきた時の記憶のまま止まっているということだ。
第二の要因としては、東京の奄美人たちは、自分の出身のシマの人達とのつながりはかろうじて保ちえてもそれ以上のネットワークの拡がりをなかなか構築しきれずにいるので、実際の奄美諸島の人達よりも自分のシマの感覚を強く保存する結果になっているように思われることだ。奄美に住んでいれば自動車で他所ジマへ移動するのは簡単だが、東京に住んでいると他所ジマ出身の人とはなかなか交流する場がない。奄美会の行事などに参加しない人は、ますますそういった機会から遠ざかってしまうだろう。だから、シマ唄の伝承も、より「わきゃシマ」の感覚を残しながらなされているのだと思う。
それは言葉に関しても同様だ。東京の奄美人たちは昔のシマ口を純粋に保存していて、あまり他所ジマの言葉を知らないと思う。そのあたりは今の奄美諸島の言葉のほうが、学校や仕事などで他所ジマの人達と接して、ごちゃごちゃに入り混じっているような気がするのだが、どうだろうか?
第三の要因は、身近にシマ唄大会がないので、コンクールを意識したシマ唄を修練することもまたない、ということだ。
そして最後に、いつでも簡単に利用できる公共施設がないので、シマ唄教室と言っても本格的に運営することが困難だということだ。大概は奄美関係の飲み屋さんとか、奄美出身者の家とかで、少人数でぼちぼち練習するか、あるいは皆で飲みながらの唄遊びのような形で練習しているに違いないと思う。その雰囲気は、おそらく教室という感じがあまりしないだろう。
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このBLOGなどで奄美三味線の弦やバチが東京で売っていないので困る、とアピールしていたところ、瀬戸内町からシマ唄情報を発信しているスリーウッズの森さんが、瀬戸内町の特産品通信販売サイトである「ゆりどろ」にて販売してくれることになった (^^;;
「ゆりどろ」スリーウッズのページ
弦やバチ(竹・プラスチック)、ウマ(駒)をセットや単品で注文できるそうなので、本土の奄美三味線愛好者にとっては朗報だ。はっきり言ってこの値段でも商売になるとは思えないが、こういった商品がラインナップされることで「ゆりどろ」の存在価値は上がるだろう。
たとえば東京でシマ唄を習っている人なら、知人が奄美に行く時に頼んで買ってきてもらって、少し余分に手元に置いておいたり、仲間どうしで融通しあったりしてやりくりしていると思うが、それでもいざという時になかなか手に入らなくて困ったりすることもあったに違いない。また、人に頼んだら頼んだで、やはりお礼もしなくてはならない。
そういう意味では、やはりとてもありがたいと思う。Naoさん、ありがとう。シマ唄仲間の心意気を感じました。
Naoのページ
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逆説的な話なのだが、この昔ながらのシマ唄の考え方とでもいったものは、じつは奄美諸島の人々よりも東京に住んでいる奄美出身者の人々のほうに根強く残っているようだ。東京では様々なかたちで現代風なシマ唄のライブが開催されているので、一見するとシマ唄の意識が相当変化しているように思えるが、そういった部分はまだ一部の革新者たちの試みとそれを支持する人々の間での出来事にとどまっているのみだ。
東京在住の唄者である森田照史さんの話では、東京の奄美出身者の人々と話していると、今の奄美在住の唄者たちの唄について、たいがい「昔はあんな風に唄わんかった」と言うそうだ。おそらくきっと東京の奄美人たちのシマ唄の記憶は、彼らが東京に出てきたときのまま、変っていないのだ。その間に当の奄美諸島の人たちの唄が変ってきてしまったということなのだと思う。
だから、東京在住の若手の唄者たちは別として、古くからシマ唄に関わって教室などを開いている人たちの意識は、きっと今の島の人よりも古風なのだ。あなたがもしも東京でシマ唄を習いたいと思ったならば、そのあたりの事情はふまえておいた方がいいだろう。そして、口承伝承の唄としてのシマ唄のあり方も、ある意味で東京のほうがその本質がよく現れている部分がある。
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東京に住んでいる人が奄美のシマ唄をはじめようと思ったら、それがいったいどういうものかを、きちんと理解する必要がある。
たとえば現時点では東京のシマ唄は、沖縄民謡や本土の民謡のようにきちんとした教室があって、一定のカリキュラムのもとに教本や教材を使って、興味ある人なら誰でもお稽古をして習得することができる、というようなシステムは存在していない(一つの例外を除く)。ただバラバラと個別にシマの人を対象とした自主的な教室が存在しているだけだ。
そこにはまず、シマ唄を教室で教えるということ自体がすでにシマ唄としては逸脱だという考え方があるし、さらに楽譜を使用して教えるということにも抵抗がある。そしてなにより、シマ唄は同じシマの出身者だけがそのシマの言葉でそのシマの唄を習得すればいいのであり、他のシマの唄を唄ったりしてはいけないし、まして奄美とは関係のない東京の人がそんなものを習ってどうするのだ、といった考え方が残っているのだ。
ではなぜそうなのか?
それはもちろんシマ唄というものがまだ口承伝承の唄としての性格を色濃く残していて、現代の感覚で言う「音楽」とはかなり違っているものだからだ。この違いは、西洋音楽と純邦楽との違いでも見られるものだが、シマ唄の場合それが特に著しいようだ。
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ここ数年の東京でのシマ唄のライブや公演数の推移を考えると、様々な要因はあったものの、大枠では本土復帰50周年に向けての政治的なキャンペーンの付帯物として増加し、今はその役割を終えて少なくなっているということが言えると思う。
その意味ではシマ唄は今も奄美群島の政治と経済(つまり人々の生活の制度的側面)と密接に関わっており、ある意味でまだ生きていると言えるだろう。そして、それはきっといいことなのだ。
しかし現在東京で活動しているアーティスト達は、そんなキャンペーンの要請とは別にそれぞれ独自の理由によって活動してきたし、これからも活動を続けていくだろう。現在の状況は数年前に戻った感じで、これが本来の東京のシマ唄(と奄美音楽)のライブの姿だという気がする。
シマ唄が生活の中の唄である以上、本格的に関わろうと思えば、自分で三味線を習い、シマ唄を唄うことから始める必要がある。飛行機に乗らなければ奄美に行けないのと同じように、自分で参加することでしかシマ唄の中へ入っていくことはできないのだ。
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22日(土)のシマ唄の練習は、とても有意義だった。所用で上京中の石原久子さんが遊びに来てくださったのだ。ひとしきり練習した後、石原さんは私たちに唄袋・湯湾のシマ唄を存分に披露してくれた。おそらくシマ唄はこう唄いなさいという教えの意味も込めて・・・。ある意味でそれはとても厳しい教えだった。
石原さんは、地(じ)の匂いがプンプンする唄を唄われる方だ。だから、本当はこんなシマ唄を聴かされると、島口を知らない私のような東京人には、感動すると同時に、永遠に超えられない壁を感じて哀しくなる。しかし、それは東京人でありながらシマ唄を習うということの宿命なので、仕方ないことなのだが・・・。

ところで、その後が凄かった。夜はちょっとした食事を用意してささやかな宴会となったのだが、東京在住のヒギャ唄の名手・池田哲也さんが飛び入りで参加してくださっての唄遊びになったのだ。シマ唄はやはり唄遊びだな、ということを痛感した濃密な時間だった。
石原さんによると、池田さんの唄は本当の「クルグイ」だそうだ。私ももっと注目されていい唄者の一人だと思う。
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RIKKIさんのBLOGに、結婚の報告とともに、「これからも歌い続けていきます」という言葉があった。ぼくは個人的にはRIKKIさんが結婚しようが何しようが唄をやめるとは思えなかったので、今回の結婚についても、正直に言うとかえって安心したくらいで、他に感想はなかった。
元ちとせさんの結婚についてもそうだが、普通の歌手は結婚して活動をやめるということがよくあるのかもしれないが、民謡歌手の場合は、結婚して子どもを育てるといった生活の経験は必ず唄の成長に役立つのであって、唄にプラスになりこそすれマイナスになることはあまりないと思う(マイナスになるとすればそれは別の問題だろう)。そのあたりの考え方は民謡とJ-POPなどの音楽活動とはずいぶん違う。
シマ唄も同様に、人生経験を積めば積むほど唄は大きく豊かになっていくべきであって、もしもそうならないとすればそれはその人の生き方に問題があるとしか言えなくなってしまうところがある。唄者は唄をとおして生き方を晒しているようなものなのだ。
そしてシマ唄は、生活の中の唄であり、なおかつ文化でもあるので、いつもそこにあるものだから、原理的にそれをやめるということはありえない。レコード会社に所属しての歌手活動をやめるとか、唄者としてステージに立つのをやめるといったことはありえても、その人からシマ唄が消え去ることは一生ないだろう。シマ唄とはある人の内的な経験の表現だからだ。
だから、シマ唄が奄美の人々から消えていく時は、奄美の人たちの心が消えていく時なのだ。
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昨日は会場も新たにした「築地俊造 With RIKKI (東京)」に行ってきた。RIKKIさんは先月入籍したそうで、幸せそう。そして、今回も築地さんのMCは凄く面白く、楽しめた。
忘れないうちに書き留めておくと、
1)築地さんの子どもの頃までは「トゥジ通い」という習慣があった。これはと思った女性の家に、親に頼んで焼酎を3合瓶に入れてそっと置いてきてもらう。翌日見に行って、瓶が空で飲んでくれたらOKの印、そのままだったらダメということ。OKならその日から男性は女性の家に通い、飲み食いして遊ぶのだが、そのかわり昼間はその家の労働力として仕事を手伝うことになる。そのうち子どもができると正式に結婚、という段取りだったそう。
かわいそうなのは、娘が好きでもない男からの求婚でも、親がお酒に目がくらんで飲んでしまって、そのまま結婚というパターンもあったらしいこと。また、この話で重要なのは、結婚は本人たちの意思ではなく、親が決めていたという点で、たとえば「正月着物」の歌詞で「石原の美人を嫁に欲しい」と唄っているのは、息子が親に頼んでいるわけで、着物にかけるお金はいらないから美味しい焼酎を買って届けて欲しいというような意味なのだということがわかる。
2)昔の子どもの名前は、固有名詞をつけると物の怪が付くというので、一般的な名詞の名前などをつける習慣があった。築地さんも子どものころからずっと「ハーボー(赤ん坊)うじ」というおじさんがいて、名前が「ハーボー」だと思っていたら、死んだ後本当の名前があったことがわかり、びっくりした。
などなど・・・。
唄のほうはRIKKIさんの入籍を意識した歌詞やMCを織り交ぜたしっとりとしたライブだった。私は途中で舞台の背景に奄美の自然が浮かび上がってくるような気配を感じた。シマのカミサマが祝福のお祝いを届けてくれたのかな、とも思った。昨日のライブのすべては奄美の自然の織り成すドラマの一部のようにも思えたのだった。
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8日(土)は東京奄美サンシン会の練習日でした。練習会場は奄美料理店の「そてつ」ですから、当然練習の後は・・・
そうです、やっぱり黒糖焼酎を飲みながらのシマ唄談義と唄遊び兼唄サンシンの練習なのでした (^^;;

写真は長雲節の練習中です。なぜかお酒が入ったほうがノドの調子がいい人が多いような気がします。
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「くばぬ葉節」の歌詞というよりも、共通歌詞をくばぬ葉で唄っているということだと思うが、「私はこのシマに親も親戚もいないが、私を可愛がってくださる方こそ私の親であり親戚のようなものです」という歌詞がある。この「愛(かな)しゃんしゅる人(ちゅ)ど 吾(わ)親(うや)親類(はるじ)」の部分からタイトル下の言葉を取った。
「愛しゃんしゅる人」の言葉の意味がいろいろとれる気がするが、何らかの理由で自分の生まれジマから離れてよそジマに暮らしている人が(あるいは嫁いでいったのかもしれない)、そこで温かく迎えられていることに感謝している様子が感じられて、とても好きな歌詞だ。
ちなみに奄美大島民謡大観では、「吾ぬやこの島に親はるじ居らぬ わぬ愛(かな)さしゅん人ど吾親はるじ」となっており、ここで「島」は故郷の意味だとしている。
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シマ唄のなかには、よそジマに嫁に行くと苦労するというような歌詞もあるようだが、自分と同じシマの人か、親類縁者だけとしか付き合わないというのでは、ちょっと寂しいと思う。その意味でこの歌詞はどこかでそんな狭いシマ意識を超えている感じがして好きなのだ。
もっと言えば、東京の人が奄美に行っても、奄美の人が東京に来ても、助け合って一緒に生きていきましょう、という肯定的なメッセージとして、しっかりとこころに刻んでおきたいのだ。
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研究例会の帰りに、嘉鉄出身の福本恒久さんと話していたら盛り上がってしまって、そのまま一緒にグルくんへ行ってかの@nghgさんと合流して、男3人で唄遊び(?)をした。
福本さんは現在面白いバチをいろいろ考案していて、今回は実際に弾かせていただいたのだが、なかなか初めての経験で楽しかった。また駒も大小さまざまなものを作っていて、駒を換えるだけでずいぶん音色が変わるのにびっくりした。
そのうちにだんだんノってきて、嘉鉄でしか唄われないという「はやり節」を聴かせてくれたのだが、これがじつにいい感じの唄で、十五夜踊りの時はまた速さの違う別バージョンの唄で盛り上がるのだと教えてくれた。ライブでみんなでお囃子をすると盛り上がること間違いなしの唄だと思う。
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昨日渋谷の國學院大學で行なわれた日本口承文芸学会の第47回研究例会・ラウンドテーブル<ボーダーを越えるシマウター奄美・沖縄・東京>に行って来た。
ぼくが個人的に興味深かったのは、末岡三穂子さんが調査された東京のシマ唄教室事情。東京には奄美の三味線を売っている店がないにもかかわらず、かなりの人が(といっても沖縄のサンシンの練習人口に比べたら本当に微々たるものだとは思うけれど・・・)練習しているようで、皆さんどこから三味線を手に入れているのだろうか、という素朴な疑問が湧き上がった。
まあほとんどの人が奄美出身者らしいので、家にあったか、島から送ってもらったか、自分で島で買ったのだと思うのだが(それに今では愛かな市場でもネット通販しているし)、糸やバチの補充や補修などの際には奄美に行かないと代替品は手に入らないので、本格的に練習を始めると困ってしまうはずだ。
補充品についてはたいていの人は親戚や友達が奄美に帰省する際についでに買ってきてもらったりしているのだと思うが、本体を修理しようと思うと大変だ。それを考えると奄美に知り合いのいない東京の人が独学でやるのは、なかなか難しいと思う。
そのあたりは、東京でシマ唄を習う人が増えたと言っても、まだまだあまり増えていないのではないか(というより増えようがないのではないか)、というのがぼくの印象だ。
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今日は渋谷の國學院大學で行なわれた
ラウンドテーブル<ボーダーを越えるシマウター奄美・沖縄・東京>
に出席した後、帰りに福本さんと一緒になって、
話が盛り上がってそのまま阿佐ヶ谷のグルくんで唄遊びをした。
シマ唄漬けの一日でした。楽しかったけど疲れたので感想はそのうち書きます。
(サンシン会の皆さん、お稽古さぼってごめんなさい!)
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この歌詞を普通に解釈すると、「クバの葉の美しさを讃えた唄」ということになる。だが、それでは特に何かを訴えるような特別な意味もない平凡な唄になってしまう。せいぜい「昔の人はクバの葉を大事にして団扇に使っていたんだなあ。メロディもきれいで、なかなかいい唄だ」くらいで終わってしまうのだ。
いや、それでもいいのだが、でも本当にそうだろうか? クバの木が「神高い木」だとされていたなら、そこに何か別の意味が付与されていたとは考えられないだろうか?
これはもちろん私の勝手な想像だが、たとえば「団扇が神を招く」ことに通じていたとしたら、当然クバ扇もカミを招く道具としての霊力をもっていたはずだ。また、団扇は風を起こすが、風が吹くということは、やがてその先には雲が湧き起こり、雨がやってくるはずだ。もしかしたらクバの扇は、そのような力を持つものとして、大切に使われていたのではないか? そしてそういった霊力の後ろには、カミガミの力が控えていたに違いないのだ。
するとこの歌詞の「暑さを涼ませる」というのは、ある意味では日照りを鎮め、風を呼び雨をもたらす呪力を持つものとしてクバの葉を讃えている、とも解釈できるのではないだろうか? (要するにクバの葉の呪力を讃えることで雨を降らせようとしていたということになる)。少なくとも、暑さの続く日々にうんざりした人々が風を呼ぶために唄っていたのではないか、ということはあながちムリな解釈とも言えない気がする。
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「くばぬ葉節」の一番有名な歌詞は、
「くばぬ葉どありゅうる もちなしぬ美(きょ)らさ 暑ちさ しだましゅる 玉ぬ団扇(うちふぁ)」
というもので、ここからこの唄の名前がついたのだと思う。
意味は「ここにくばの葉がある。その美しさは暑さを涼ませる玉の団扇(うちわ)のようだ」というような意味だろう。勝島徳郎氏のカセットテープの解説には「全体意味不詳」とあり、はっきりしなかったので、とある機会に酒井正子先生に「どんな意味でしょうか?」とお尋ねしたことがある。
先生は「もちなしぬ」とは「(生来)持ち備えている(その)」というような意味ではないかと教えてくれた。この部分は「もちなし (スラヨーイヨーイ) しぬ美らさ~」と歌詞を切って唄っているが、おそらくこれは「もちなしぬ」とつながった言葉として理解するのがいいのではないか、とのことだった(酒井先生、どうもありがとうございました)。
このテープの解説にも「団扇は神を招くことにも通じ、(クバは)神高い木ともかんがえられていたようである」とある。
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このblogのタイトルの下に書いてあるコトバは、勝島徳郎傑作集に収められている「くばぬ葉節」の2番目の歌詞から採った。
「くば」とは「ビロウ」のことだが、この説明に「古来、御嶽や神アシャギによく植えられており、祭祀、宗教的な意味合いもあったようです。」とあるように、奄美でも何らかの宗教的な意味を付与された植物だったかもしれない。というのは、この唄を聞いているとなんだかたんに「クバの葉」の美しさを讃えているというよりも、もっと大きな力を込めて唄われているように感じられてならないからだ。
ちなみにRIKKIさんも「シマトリ」でこの唄を唄っているが、彼女は勝島氏から直接この唄を教わったとステージで言っていた。
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